
もう一つの宇佐ご信託
「天皇の命は風前の灯火である。嫡子である宇佐公仲を天皇の身代わりとし、安徳天皇を宇佐の館に匿え」
平清盛公の二人の娘、徳子は高倉天皇へ嫁ぎ、浄子は宇佐公通へ嫁ぎます。この宇佐公通は宇佐地域をまとめていた一族であり宇佐神宮の宮司さん。
高倉天皇と平清盛の娘・徳子さんの間に生まれたのが安徳天皇、そして同じ年に宇佐公通と平清盛の娘・浄子の間に生まれたのが宇佐公仲。
日本ではその土地の地名や人の名前で歴史が解ると言われていますね。そのため時の権力者によって地域の名前を改変して分からなくしている事も多いです。

天皇家存続へ舵を切る宇佐
【宇佐神宮のご信託】といえば、河内の弓削出身・今の大阪八尾市の弓削道鏡が皇位を奪おうとした事件で有名ですが、それだけではないのです。
寿永2/1183年5月木曾義仲に倶利伽羅峠の戦いで敗れた平家は安徳天皇を連れて西日本へ落ち延びます。安徳天皇と平家を迎え入れたのは九州太宰府政庁の原田種直。太宰府に西の拠点を創ろうとした平家。
那珂川市安徳には「御迎」と言う場所があり、そこで安徳天皇を歓迎したと言われています。しかし、平清盛の長男・重盛の御家人であった緒方維義が源氏と密通しており背後から矢を放つ謀反を。信頼していた相手から後ろから矢を放たれる、たまったものではありません。まぁ今も政治の世界ではよくあることでしょうけれど。
安徳天皇と公家や女房らは裸足で太宰府から逃げ出します↑。水城の戸から箱崎の津へと逃げ落ちます。そして船で、平家の仲間である山鹿水軍に護られて海路宇佐へと。もし信頼していたモノからの謀反さえなければ、太宰府に政権ができたかもしれません。太宰府を監督していた原田種直は、宇佐神宮の宇佐公通と縁戚いとこ関係にあります。
たらの話は北海道、でも太宰府に拠点が出来ていたら。例えば忠義にあつい菊池家のような武将にまもられ、和をもって九州勢が一丸となれていたら、九州が今の日本の中核に、残念です。
『平家物語』には、住吉、箱崎、香椎、宗像の各神社を伏し拝み難所を抜けて海岸へと出た時は、血で袴は染まっていたと。

同年9月7日から一週間、宇佐神宮では安徳天皇と平家一門による「平家再興の大祈願祭」が執り行われます。その時、中秋の名月の13日に「八幡の神のご神託」がおりるのです。「天皇の命は風前の灯火である。嫡子である宇佐公仲を天皇の身代わりとし、安徳天皇を宇佐の館にかくまえ」と。
宇佐八幡宮の宮司であり、平家とは縁戚関係にある宇佐公通は、天皇の命を救うために断腸のおもひで我が子宇佐公仲を身代わりに差し出すのです。
安徳天皇御陵が数ヶ所あるわけ
平家は宇佐公仲を安徳天皇の身代わりとして担ぎ、四国へと渡り都をめざします。寿永2/1183年11月17日、備中国水島での水嶋合戦↑で木曽義仲軍にみごと雪辱を果たします。
この日、太陽が大きく欠ける金環日食が起ります。平家は天のお導きと神戸の福原宮へと陣を構え、さらに京の都を目指します。現在、福原宮ではこの時代の遺跡発掘作業が進められています。
寿永3/1184年2月7日、和平交渉を破り騙し討ちのかたちの「一ノ谷の合戦」で源義経が平家を瀬戸内へと追いやり、安徳天皇の京の御所入りは叶わなくなります。
緒方惟栄が宇佐神宮焼き討ち
宇佐神宮に護られたもう一人の安徳天皇は、寿永3/1184年7月に焼き討ちに遭います。平家の旗色が悪いとみれば、平家の家臣であった地方の権力者たちは裏切り行為をしても利を得ようとしますね、あくまでも一部ですがそう言うやからもいます。
安徳天皇は宇佐神宮の館を脱出して鷹巣山虚空蔵寺に逃げます。宇佐公通は宇佐神宮発祥の地・御許山へと身を隠します。
緒方惟栄は神殿の破壊や天皇の宝物、古文書の奪取、神官の殺害などあらゆる強盗殺人行為を。『平家物語』の巻八でも「恐ろしい者の子孫」化け物として語られています。朝廷側はこの狼藉者たちを処分しますが、源頼朝が恩赦を与えます。このころから、武家が力でおさえつける政治が成立した訳ですね。朝廷側・天皇家の意向と武家の社会との乖離ですね。
緒方惟栄の焼き討ちだけでなく、戦国時代永禄5/1562年キリスト教信徒の大友宗麟により、宇佐神宮は再び焼き討ちに遭い荒廃します。同じように肥前国、今の佐賀県ではキリシタン大名・大村純忠、有馬晴信が神社仏閣の徹底的な破壊を命じました。
源氏は八幡信仰と言われてはいます。確かに鎌倉には鶴岡八幡宮がありますが、、疑問です。宇佐神宮はこの後も、源氏から酷い扱いを受けます。宇佐公仲となった安徳天皇は、もちろん宇佐神宮の宮司を継ぎます。
ちいさな童の八幡神が現われる
亀山の麓に広がるのが美しい菱形池です。この池の横に御霊泉が三つあります。宇佐神宮一番の力湧く場所、泉が湧く生命エネルギー溢れる場所と言われています。
「欽明32/571年辛卯に八幡大明神が顕れたまふ」と『八幡宇佐宮御託宣集』に書かれています。その地が御霊水が湧くこの地です。
霊泉に生える竹の葉っぱの上にちいさいオジサン、じゃぁなかった、ちいさい子どもが顕れたのです。竹から生まれた? え、かぐや姫もちいさいよね。一寸法師もそうだよねぇ。ちいさな神さまは、日本の物語にはよく出てきます。不思議に思いませんか。そしてちいさいのに、その神さんを発見できる人とそうでない人もいる。
八幡大明神を発見したのは大神比義というシャーマンのような人。彼は断食して三年目、祈っていたらちいさい神さんが出てきてくださったと。そしてここに八幡大明神を祀れと。神亀2/725年に第一の御殿が建造され、天平5/733年には第二、そして弘仁14/823年に第三の御殿が創建されていきます。
なんで立派な中央の社殿に女性の神さまと言う論議があったりしますが、日本では上下の基準は左からですよね。まぁ神さまに順列もないとは私は考えますが。まぁ歴史ロマンということですね。マスゴミがでっち上げる歴史ロマンなんてシロモノよりましですが。
和気清麻呂がご信託を受けた宇佐神宮は、御許山です。もともとは地域信仰だったお山・宇佐神宮に、八幡信仰が合体したのですね。大神氏と言うのは、宇佐氏、辛嶋氏↑とともに、この地域を護っていた一族です。元々はこの地域は地名でも解るように宇佐氏が護っていて、そこへ術を操る大神氏、百済からの技術者集団であった辛嶋氏が協力したかたちだと考えられます。
合戦のある場所へと、幼い天皇を一緒に連れて行くとは普通に考えれば、やらないでしょう。錦の御旗に叛逆するだけでも問題がある。もし天皇を乗せた舟なりを襲うとなると、国に対するテロリストとみなされますよね。もっと言えば、味方である平氏の中から謀反を起こす行為は人間ならやらない行為だけれど、起こっている。そして天皇とともにあるのが三種の神器、これも剣は壇之浦合戦で関門海峡に沈んだままだと言われています。でも、そうなることを想定していた平家の棟梁ならどうするでしょうか。だから歴史を考えるのは楽しいんですよね。
安徳天皇が落ち延びてここで崩御されたという伝説がある土地が多いです。平家の落人伝説のあるところには安徳神社がひっそりあったりします。宮内庁が指定している安徳天皇ご陵墓参考地は五ヶ所。山口安徳天皇西市御陵墓参考地、鳥取岡益の石堂、高知鞠ケ奈呂陵墓参考地、熊本花園陵墓参考地、長崎対馬市厳原町久根田舎です。他にも何ヶ所か宮内庁指定ではありませんが、存在します。
初出/2026年11月1日
宇佐神宮 菱形池 〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐
