
幸せを願い、ひき寄せるための極意@宇佐神宮
神仏に祈り、そして導かれる。そのために私たちご先祖さまは【しきたり】【慣習】【祈祷】や【祭り】を大切にしてこられました。それは数千年も続き、今でもそうですね。

国宝に指定された3棟の本殿は、日本独自の建築様式である「八幡造」。
これらが単なるたわごとや迷ひ事であるなら、現代まで続いてはこなかった。私たちは単に今ある価値観でそうしたものをみてしまいがち。それで地域のしきたりやお祭りをやめればグローバルな世界の標準になるのだろうか。
今の価値観だけで長い時の繋がりの中で続けられてきたことを、明日からはやりません、この方式でやりますと言って、さて100年後の私たちの未来の世代に責任持てるのだろうか。
宇佐神宮ご神託事件
【道鏡事件】とも呼ばれる、仏教の僧侶が国家の権力者になろうと画策した事件。河内国弓削郷、現在の八尾市出身のいち坊さんで、称徳天皇を祈祷看病したことから厚い信任を受け、宗教上の最高位である「法王」の座に、そして皇位の座へと。
これ乗っ取りともはたから見たらとれますね。もちろん周りでは物議を醸すでしょう。そこで、当時から絶大な信頼を得ていた九州宇佐神宮の御信託を利用しようと画策します。
「道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる」と宇佐神宮の神託であると、道鏡の太鼓持ちの中臣習宜阿曾麻呂が称徳天皇に上奏したのです。日本の国が乱れていた神護景雲3/769年の出来事。
称徳天皇は宇佐神宮へと神意を確認させるために、和気清麻呂を使者としておくります。宇佐嶋とも呼ばれる宇佐神宮発祥の聖地で「皇位は皇族が継承せよ」との宇佐神宮の御信託【君臣分定の神勅】が降るのです。
聴いた和気清麻呂公は、これを天皇にお伝えすれば我が身は危ない立場に立たされる、場合によってはと。ご神託を扱う女性禰宜・辛嶋勝乙女に再度神託をお伺いしたいと。
都に戻った和気清麻呂は、ご神託を包み隠さず称徳天皇にお伝えします。あんのじょう激怒した道鏡は、和気清麻呂の両足の腱を切断し歩けないようにして大隅国へ島流し、今の霧島に左遷します。しかも「別部穢麻呂/わけべのけがれまろ」と改名させます。
ちなみに和気家は、第11代垂仁天皇の第五皇子・鐸石別命/ぬてしわけのみことですから、皇族です。よほど道鏡は皇族に対して敵意と憧れを持っていたのかもしれません。もし道鏡が天皇へとなっていたら、【公私の区別のない私的な支配の国・日本】になり他国から侵略されていたでしょう。
公私の区別のない私的な支配は国を滅ぼす
道教は密使を使い和気清麻呂の殺害を画策します。清麻呂公を慕う路豊永がそれを聴きつけ、清麻呂の元へ早馬で駆けつけ刺客を手裏剣で撃ちます。この頃、あまりにも奈良の仏教界の力が強大になりすぎ、全てにおいて坊主が主導権を握ってしまったことにも問題があるんでしょう。仏教を推進した聖武天皇の娘であった称徳天皇は、余計に仏教に肩入れしすぎたのかもしれませんね。
仏教がいつ日本にやってきたかは定かではありませんが、朝鮮半島から百済仏教がやってきています。お坊さんがやってくるわけですね、うがった見方をすればそのお坊さんが権力を持ち国家を運営すれば、朝鮮半島の都合のえぇように日本の行政を行うことも可能。それを危惧する人も出てくるから「奈良の都はもうダメだ」と、そう言うことじゃぁないでしょうか。今の時代もおんなじで「赤い国の傀儡・東京の都ももうダメだ」と言う時代も近いうちに来るかもしれませんね。
神護景雲4/770年4月に称徳天皇が病に倒れられ、8月崩御。光仁天皇があとを継ぎ、大隅半島から和気清麻呂は呼び寄せられて、桓武天皇時代には仏教色の強い平城京から平安京への遷都に尽力します。一方、皇族ではない道鏡は天皇にはなれず、下野国へと流罪、流行病でその地で負します。
神仏習合のはじまり
「八幡大菩薩」誰しも聞いたことがある言葉。八幡さまに仏教の菩薩さま? なんだろうけれど、その昔はそうではなかった。大陸的な考え方ですが、ある勢力を弱体化させる方法の一つが仲間内同士なかたがえさせて喧嘩させて両方ともを弱体化させていく方法。神道と仏教をなかたがえさせれば、新興宗教が儲かる式ですね。宗教は喧嘩の元となることは聖徳太子の時代から解っていたこと、だから全てを取り込み日本式に和をもって、ただし自分たちだけの利や公私の別をわきまえよと。
明治時代の文明開花の時代に神仏分離をしたんで、今の時代お寺と神社を分けて考えがちですが。どちらもご先祖さまをお祀りする場所が神社であり、お寺さん。そこに行けば、この国を創ってくださったご先祖さまに手を合わせて、心が整う。お寺も神社さんも日本を造り護りづづけてくださったご祖先の方々をお祀りしているだけ。そこに行けば、よい氣をいただけるありがたい場所。
神でありながら仏教の「菩薩」としても崇敬されるという、宇佐神宮と弥勒寺が一体となった先進的な信仰形態の「八幡大菩薩」が8世紀から流行した理由でしょうね。「八幡宮」の総本宮であり、皇室からも伊勢神宮に次ぐ特別な崇敬を受けてきた歴史があります。
八幡の神さまは『古事記』に登場しない謎の多い神さまです。応神天皇と神功皇后とも言われますが。宇佐八幡宮の御祭神は八幡大神=応神天皇、誉田別尊 、比売大神、神功皇后の三柱です。中でも比売大神は宗像三女神とされることが一般的ですが、卑弥呼ではないかという説もあります。
古代九州王朝や邪馬台国は宇佐のこの地にあったという説もあります。宇佐神宮境内にある亀の石の上に建つ亀山神社↑の下には約80mの円墳があり石室もあります。亀の形の台座は墓石の形態によくあります。水戸の黄門さまが格さんに創らせた楠木正成公のお墓も亀石台座です。亀山神社が卑弥呼の墳墓ではないかと言う説もあります。中国の『魏志倭人伝』では卑弥呼のお墓は歩いて80mほどの円墳であると。
奈良大仏建立の立役者、宇佐神宮
奈良の大仏さんが完成したのは天平勝宝4/752年。当時としては世界的にみても、最大級の造形物でしょうね。聖武天皇は疫病や社会不安から国を鎮護するための国家的大事業として東大寺を建立。しかし、完成までには長い道のりがあり難航していた大仏建立を後押ししたのが宇佐神宮さんです。
「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交えて障ることなくなさん」とのご神託が下ります。八幡神は神官を伴って平城京へ迎えられ、東大寺の守護神として祀られました。これが現在の奈良市にある手向山八幡宮の起源です。東大寺大仏殿が出来上がった時、完成した大仏を拝むために、八幡神が紫色の神輿に乗って奈良に向かいました。これが日本での最初のお神輿と言われています。
神さんと仏さんは同じ
西洋かぶれする前の日本では、八百万の神、自然の神、仏教の神を分け隔てするのは良くない事は、聖徳太子の時代から解っていたのです。それを白か黒かと分けることをよしとする西洋文化が入ってきてからおかしくなりました。
「神社では二拍手」と決めたのはアメリカさんです。特攻隊に象徴される神風、神道を毛嫌いしていたGHQにより、日本の【しきたり】習いを弱体化させようとしたふしがあります。宇佐八幡宮さんでは四拍手ですからね、間違わないでください👏👏👏👏初出2026/10/26

宇佐神宮 〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐2859
開門時間/6時00分~18時00分
