「日本一の剛の者」
源平の合戦での活躍が有名な武将・熊谷次郎直実公。源頼朝をして「日本一の剛の者」と言わしめました。寿永3/1184年に神戸須磨一ノ谷の合戦で、源義経に従い自分の息子と代わらない若い武将を打ち首に。
その時には彼が誰だったのか分からなかったのですが、須磨寺(上の写真)の首検証によって平清盛の弟・経盛の末子だとわかります。(奥が敦盛、手間が熊谷直実)
敦盛の首と一緒に熊谷直実が持ち帰った青葉の笛は、弘法大師空海が唐の国からもちかえり嵯峨天皇へ献上。そして平家へと下賜された笛だったのです。当時は大将やある程度の武士を討ち取った場合、首をとり自陣に持ち帰り首検証をしたのです。それによって、討った者の褒賞の度合いが決まったのです。
暁寒き 須磨の嵐に聞こえしはこれか 青葉の笛
武士の時代のあわれを悟った熊谷次郎直実は出家して「法力房蓮生/ほうりきぼうれんせい」と名を改め、法然上人の門下に。「どんなに罪が深かろうと、念仏を一心に申せば必ず救われる」という法然上人の教えに感銘したと言われています。そして僧侶となり、平敦盛の菩提をここ京都長岡京の西山の麓、光明寺で弔いました。
京都のごちゃごちゃした町から、少し離れた長岡京は在原業平しかり、いにしえから物語が生まれる土地柄だったのではと私は思ってしまいます。長岡京へなぜだか通ってた我が身をおもふと。
人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり
先の言葉は、幸若舞『敦盛』の中で無常の世を儚んで出家するときの熊谷直実の言葉の一節です。数奇な一生は、『平家物語』や歌舞伎・浄瑠璃など文学や演劇の世界でも語られています。織田信長の言葉だと勘違いされていることもありますが。
そのため平敦盛の青葉の笛は江戸時代に大人気になり、松尾芭蕉も須磨寺を訪れました。平敦盛が持っており戦の前に吹いていた『青葉の笛』を宝物殿に展示してあった須磨寺に足を運ぶ人が今でもいらっしゃるのです。江戸時代はそこそこの宝物観覧料をお寺さんがとっていたそうで、松尾芭蕉もその金額に驚いたと言われています。今では無料でご覧になれます。
私が大好きな落語家・柳家小三治さんは青葉の笛を一度自分の目で観てみたいと神戸での公演にいらっしゃた時に、須磨寺に足を運ばれました。そして落語のまくらで、『平家物語』を語られたのです。
須磨寺の庭にある平敦盛と熊谷次郎直実の馬に乗った二人の姿が穏やかな静けさで印象的だったそうです。松尾芭蕉が「のたりのたりかな」とうたった須磨の浜を描いているのです。『戰の時に笛を奏でるなんて」と思っていたそうですがさもありなんと。
平敦盛を弔った熊谷直実公のお寺さん
建久九/1198年、法然上人の弟子となられた熊谷次郎直実法師は京都府長岡京市西山のふもと粟生広谷の地に御堂を建てました。それが京都一番の紅葉のトンネルと今では呼ばれている光明寺さん。師である法然上人を開山一世と仰ぎ、熊谷次郎直実自らは開山二世となられ、法然上人より「念仏三昧院」の寺号も頂きました。
西明寺の名になった由来と言われているのが、延暦寺衆徒による法然上人墳墓の破却が企てられました。門弟たちはご遺骸を法然上人の母君、秦氏の里である京都太秦へ運ぶと法然上人の石棺から数条の光明が放たれ、粟生の里の「念仏三昧院」を照らしたのです。
門弟たちは相談の上、法然上人の17回忌にこの地へと移してご火葬されました。永禄6/1562年3月10日、正親町天皇から「法然上人ノ遺廟、光明寺ハ浄土門根元之地ト謂イツベシ」と言う綸旨を賜り、光明寺は浄土一宗の御本廟と定められています。
全山紅葉の自然な浄域
比叡山の高みから町へ出て念仏を唱えれば、誰でも成仏できると説いた法然上人。夜討ち入りされた父上の遺言で「敵を恨んではならない。かたき討ちをすれば、その者の子がお前を恨んで同じことが繰り返される。出家して父の菩提を弔え」と。それに感銘を受けたのが、日本一の剛の者・熊谷直実だったわけです。親からの言いつけを守る、日本人ですねぇ。
今では法然上人の御廟がある西明寺、山全体が秋には美しい姿に。意外なことに、ここも外国人に大人気なのです。なぜなのか? いっちょかみでおっちょこちょいの私は外人さんに尋ねます。そうすると外人さんの紅葉に対する考え方が解りました。
日本で紅葉というと紅だけでなく黄色や徐々に色づく姿と落ち葉なんですが、「これわびさびです」と外人さんには言うのですが。外国人は紅葉は赤なんです。真っ赤が好きなんです、そしてそれが樹にある元気な状態が良いんです。
人種よって好きは違う
最大のポイントは「京都の紅葉の名所数ある中で、なぜ光明寺を選んだのか?」それは「紅葉のトンネルがある」から。このことはここ光明寺さんだけで聴いたのではなく他のお寺さんでも外国人からお聴きしました。日本人は木々のトンネルなんて、あまり興味がわきません、自然は神であり当たり前だから。
しかし、あの日本でも流行したヨン様ブームでの滋賀県高島のメタセコイアの並木でアジア人の観光バスを見たとき、あぁ他の国の人たちは木々が両脇にありそこを歩くことが好きなんだと。そこで写真を撮ることが日本に行った証なんだなぁと。
ここ光明寺さんには「もみじ参道」と呼ばれる紅葉のトンネルがあるます。総門から表参道「女人坂」のなだらかな石段を登りつめた御影堂、薬医門を中心とした場所です。
これは日本人であるからなんでしょうか、聖地で自然を愛でさせていただいている気持ち。紅葉をご覧になるのは良いのですが、そのお寺さんにはそこに祀られている方がいらっしゃる、敬いの心ですね。恵心僧都の作と伝えられ、法然上人によって開眼供養された阿弥陀如来立像が御本尊として御影堂の北方にある阿弥陀堂に。また延暦寺衆徒による法然上人墳墓の破却からまぬがれた石棺も、あるのです。
光明寺〒617-0811 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1
紅葉期間/令和6年11月16日(土)~12月8日(日)
受付時間/9時~16時 受付終了
受付場所/総門前
入山券/大人1000円。中高生500円。パーク&ライドを利用者は400円
アクセス/阪急「長岡天神」駅下車、阪急バス②のりばより「20,22系統」乗車約10分「旭が丘ホーム前」下車。紅葉シーズンは臨時直行バスも週末などに出ています。
紅葉期の光明寺には駐車場はありません。長岡京市営 長岡京駅西駐車場からパーク&ライドで。