野球小僧にとって憧れの甲子園球場、実はドーム球場化の話もあった@兵庫西宮Go to Hyogo

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野球小僧の聖地甲子園

甲子の年に出来たから甲子園球場

1924年(大正13年)8月1日にできた阪神甲子園球場。えとの最初の組み合わせ、きのえねのとし甲子という60年に一度の縁起の良い年に完成したので甲子園大運動場と命名されたのが、阪神甲子園球場のはじまり。阪神電車が所有するので阪神と冠がついてるが、普通は「甲子園」「甲子園球場」と地元では呼びます。

夏の甲子園

高校野球ゲームセット

そして甲子園といえば春と夏の高校野球。野球以外の場所でも【ダンス甲子園】【書道甲子園】と名前を借りて高校生のクラブ活動の頂点を目指す場所が甲子園と。またプロ野球選手の高校時代を観れる場所でもあるので、純粋に高校球児を観たいというファンも多い聖地甲子園。プロ野球に行き活躍している選手たちにも高校球児時代はあるわけだし。阪神電気鉄道甲子園球場

実はドーム化される予定だった阪神甲子園球場

1995年の阪神淡路大震災では、甲子園球場もスタンドの一部が破損したりする被害をうけましたが、その年春の67回センバツは開催され、人々に夢と希望を与えました。この当時までは、甲子園球場のドーム化新球場建設が隣接する阪神パーク遊園地の跡地、現在「甲子園ららぽーと」に計画されていたのです。甲子園球場グラウンド

ドーム化には高校野球で儲ける株式会社の新聞社が反対。六甲山系の東端は雲の流れ道でもあり、甲子園球場に急に雨雲がたちこめ、落雷が起こることもしばしば。私は一度アメフトの甲子園ボウルで落雷でグランドが真っ白になった経験があります。野球の試合でも通り雨による中断はしばしば、そんな環境条件からドーム化は妥当な判断だったと思います。

甲子園ボウル 関学vs日大

学生アメフトの頂上を決める「甲子園ボウル」

しかし、1995年の阪神淡路大震災での阪神地域の経済悪化のために白紙に戻されます。タラの話は北海道だが、震災が無くあの時ドーム化していれば、熱中症を心配しながらの苦行のような夏の野球の試合をしなくても良かったのだけれど。また復興のシンボルとして甲子園ドームができていれば、、

阪神電気鉄道甲子園球場歴史館

甲子園歴史館の展示

阪神大震災で正直お金がなかった、その証拠にガタガタになった球場の周りを一般人や企業からの寄付を募り、レンガを敷き詰めたりしています。これは現在でも寄付企業や個人寄付の人たちの名前が記されたレンガが甲子園外野スタンド入り口側に残っています。また歴代の甲子園優勝校のレンガもあり、実は隠れた観光スポットになってます。旧甲子園歴史館の前あたりです。バージョンアップした【甲子園歴史館】はすごいです。甲子園を訪れた際にはぜひ、野球ファンには涙もんのミュージアムです。阪神甲子園球場歴代高校野球優勝校レンガ

野球ファンでなくても一度はその大きさと、甲子園球場の雰囲気をご覧になるだけでもいい観光になります。野球開催のない日でも球場内に甲子園歴史館があるので十分楽しめます。うえの写真が歴史博物館の高校野球コーナー。また球場内ツアーもあります。また意外と知られていませんが、甲子園球場がある西宮市にはたくさんの観光地があります。源頼朝も祈願し、阪神タイガースが優勝祈願する勝ち運の超パワースポット・廣田神社商売繁盛の神さま西宮戎神社桜百選にも選ばれている夙川の桜並木日本三体厄神のうちの一つ門戸厄神東光寺さん方位磁石がくるう不思議な岩がある越木岩神社、灘の酒の日本酒の蔵元、ぜひ聖地甲子園巡礼の後に訪れてみてください。

高校野球 広陵応援団

広島といえば「めしとる」のしゃもじで応援

高校野球シーズンにぜひ観戦してほしい熱湯!?甲子園

甲子園球場は2007年から2010年に大規模修復工事がなされています。ここにある写真は改修前の古い甲子園球場の感じが残る2007年。夏の甲子園での決勝戦、広島の広陵高校が好きで応援に行き、勝ったものだと7回で確信していました。宮島のシャモジを叩いての応援が広島らしい、そしてメガホンはカープレッド、↑の写真ですね。この写真は広陵対常葉菊川の試合での応援風景です。甲子園広陵VS佐賀北

私たちは「野村すごいピッチャーだよなぁ、プロ行きだね」と喋りながら広陵の勝ち試合だと確信していた。広島の友人と飲みに行く約束をしながら、、こんなドラマがあるなんて。それが魔の8回裏の佐賀北の攻撃。なんと逆転満塁本塁打をマンガのように3番副島選手に打たれてしまう。夏の甲子園 野村祐輔投手

この時投げてた広陵・野村祐輔投手はプロ広島東洋カープに入団、2012年に新人王、2016年に最多勝を獲得。またうけていた小林誠司捕手はプロ読売ジャイアンツで2017年のワールド・ベースボール・クラシックで日本代表の正捕手として活躍しています。この時守っていた上本崇司選手は広島東洋カープの内野手。ちなみに兄の上本博紀選手、同じ広陵高校出身は阪神タイガースの内野手。あの選手がこんなにも活躍しているんだぁ、とこんなところが高校野球ファンの嬉しさでもあります。

阪神電気鉄道甲子園球場グラウンド

↑の写真は大規模改修あとのグラウンドウォークに参加した時、息子が阪神電車を作って、グランドに置いています。甲子園球場は年々改造していて、2020年は高校野球でおなじみアルプススタンドの座席が広くリニューアルされています。また高校野球を応援に行きたいですねぇ〜

甲子園球場アルプススタンドリニューアル

2020年は武漢熱でリニューアルしたアルプススタンドは、まったく使用されませんでした。2021年は自粛解除後に観客が入れるように。いままでの三人席を、ゆったりとふたり席に成っています。

高校野球優勝の瞬間。これを観たくて甲子園に通う人もいる

甲子園球場 田中将大 野球小僧 駒大苫小牧高校

2005年夏の第87回全国高等学校野球選手権大会、駒澤大学附属苫小牧高等学校vs京都外大西高等学校の優勝決定戦。投げていたのは当時2年生の田中将大投手。ひときわデカイ真ん中の選手「駒澤」の文字が見えるのが田中投手。駒大の応援に行ってアルプススタンドから撮影したもの。2005年夏の甲子園優勝校駒大苫小牧@甲子園球場 田中将大 野球小僧

2005年夏の甲子園で優勝し、初めて北海道へ優勝旗を持ち帰った駒大苫小牧。写真一番後ろのひときは背の高い選手は田中将大投手。

1950年代の甲子園球場

1950年代の甲子園球場

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