法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

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法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

法隆寺の謎、隠された十字架

キリスト教伝来は日本の鎖国時代とされていますが、それよりも前にユダヤ教やキリスト教を信仰する人たちが日本には居たということの方が自然だと思います。なぜこんな話をするかというと梅原猛さんが「法隆寺の中門の柱は聖徳太子の霊を封じ込めるための怨霊封じの柱である」と著書『隠された十字架』の中で語られています。

法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15/607年とされています。 この法隆寺の中門/ちゅうもんはくぐることは出来ません

門というのは狭き門であっても、人が通るもの。それを邪魔するように柱が存在する???

日本人で知らない人はいないのが仏教の祖と勘違いされている聖徳太子さん。厩戸皇子とも言われていますよね、うまやどで生まれた世界的有名人といえばイエスキリストさま。今の日本人の感覚では聖徳太子(敏達天皇3/574年2月7日-推古天皇30/622年4月8日)が宗教の教祖様のような馬鹿げた考えは持たないですが、一千年以上前はそうではなかったのでしょう。法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

何が言いたいのか、お寺さんとは仏教ですよね、その元となるのはお釈迦さまの世界観。しかし日本では聖徳太子の世界観、日本の自然全てを司る神を作りあげようと考えたんじゃぁないでしょうか。それが世界が驚くずっとおんなじ系統の王様である天皇家に繋げていった。

まぁこのことにより、私たちの頃は遠足といえば法隆寺、平城京跡だったのが、共産主義大好きな天皇反対日教組先生たちはお寺よりもディズニーランド、USJやハウステンボスへと替えてったんですね。でもね、それって資本主義の権化みたいな代物で共産主義とは相反しませんってね。

法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

金堂が聖徳太子を祀る神道を表し、五重の塔が仏教を表すと考えると合点がいく創り

世界最古の木造建築群である法隆寺

日本で最初の世界遺産に選ばれたのが、世界でも一番古い木造建築である法隆寺。天智9/670年に一度は火災で焼けたけれど、再建されてからでも1300年以上の歴史を持つ伽藍群は素晴らしい。『日本書紀』には「夜中に火災があり、一屋を余すことなく焼け落ちた。大雨が降り雷がなった」と。持統4/690年から和銅4/711年にかけて藤原氏の後押しにより再建されたようです。これにより干されていた藤原一族が復権を果たします。聖徳太子一万円札見本

半島から伝来した日本古来の宗教観とは違う仏教。それを推進したのが異国からの宗教・仏教を取り入れようとした蘇我氏、百済からの異文化と寺を焼き払っていた神道をおしすすめる物部氏。そんな対立があり、仏教が主かと、それを背景に好き勝手していた蘇我入鹿を暗殺して、大化の改新をしたのが藤原・中臣鎌足。仏教観を拒絶する藤原一族。その藤原氏が法隆寺再興に尽力したのですから、この頃から神仏習合はおこなわれていた。争いの素は、宗教観からの違いによる民族闘争であると日本民族はわかっていたんです。北朝鮮・新羅から伝来のお寺さんと南朝鮮・百済から伝来のお寺さんは日本で争ってましたからね。

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南門

日本においての宗教のあり方を第一に考えられたのが聖徳太子さま

推古15/607年に、聖徳太子は仏教を推進しているんだと周りの目にはみえたのですが、ホントはそうでなかった詔を出されます。これが五重の塔が仏教で聖徳太子を祀る金堂が神社と言われている根本です。これによって神仏習合が始まったとも言えますが、教科書にはなぜだか書いてない、そう教科書を使うのは天皇家を潰したい共産党員である先生様が使うから、ホンマあほです。蘇我氏の権力に刃向かいと痛い目にあう。その時代の力を持つ者に迎合します、と見せかけて太子の考える世界観を構築したのがこれ。

古来わが皇祖の天皇たちが世をおさめたもうのに、つつしんで厚く神祇を敬われ、山川のかみ神を祀り、神々の心を天地に通わせられた。これにより陰陽相和し、神々の未技も順調におこなわれた。
今わが世においても、神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。群臣は心を尽くしてよく神祇を敬いはいするように」と聖徳太子は【敬神の詔】を発布。仏教勢力が大きな力を持つ、それをはじめは推進したように見えたのが聖徳太子だけど、でも本心は仏教と神道を和合してしまおうと考えたのが太子。薄っぺらいお金でできた夢のような空間を旅していても、こんな宗教を考えることなんてできませんねぇ。宗教や神を持たない考え方が、共産主義を基とする独裁者、あんたが偉いですからね。法隆寺の謎

広々としていて京都のお寺さんのように格式ばった、よそよそしい風情ではなくて神社のように広々と自由な境内。飛鳥斑鳩の丘陵地にどっかと建つ、包み込んでくださるよな穏やかな心持ちになれる宗教施設です。奈良でも市街地からは少し離れているので喧騒もない場所、それゆえに訪れるには法隆寺と近辺の場所をゆったりと観光されることをオススメします。法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

1300年前の人たちは凄かった

寺院には伽藍配置と呼ばれる五重塔や金堂などの配置やそれを取り巻く廻廊があります。法隆寺はど正面から見るとなんだかシュッと建つ五重塔と重々しい金堂でアンバラス感があります。それを補うために東回廊と西回廊では柱の間が違います。人が感じる威圧感やアンバラスを補うのです。宮大工と呼ばれる人たちは、権力などに関係なく素晴らしい仕事をしていたんですね。法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

そんなことを考えながら、散歩するには十分な広さの境内です。五重塔や金堂のある場所から少し離れて夢殿や宝物館↓もみどころ満載です。私がつよく魅かれたのが金堂前にある石⤴︎かパワーを発しているようで。法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

聖徳太子は蘇我氏、その反対勢力は藤原氏

中臣鎌足は中大兄皇子と談山神社で謀略を練り、時の権力を思うままにしていた蘇我入鹿を暗殺します。1300年以上前の日本では権力争いに天皇家も加担し、それを支える勢力があった。中臣鎌足は藤原一族です。この頃までは藤原氏は旗色が良かったのに、、

藤原氏は時の権力を思うままにするためには天皇家に近づく他の勢力をことごとく叩き潰します。それが天神さまの菅原道眞公であったり、蘇我入鹿です。しかし藤原一族に災難が降り続くと祟りではないか、と。京都の街を伝染病、はやり病で疲弊していく、現代とも似ています。そのために建てられたのが北野天満宮、祟り封じとも人気とりとも呼ばれています。その後京都のみやこは名ばかりになります、京都でなくても良いと、今の時代と似てます。東京でなくても良いと、ネットを使えば会議に東京へ行く必要性もない。法隆寺の謎

同じように法隆寺も焼け落ちた後に、聖徳太子とは敵対関係であった藤原氏が怨霊封じに再建を後押ししたのでは勘ぐられても仕方ありませんね。聖徳太子の方が藤原氏よりも数段一般人受けが良い、だから太子の人気を横取りしようと、これが渡来人である藤原氏の世の中の荒波を渡る渡世術。その後、飛鳥の宮から平城京へと遷都され、藤原一族の力は強大になっていくのです。この後奈良平城京から長岡京へと遷都を推進するのも藤原氏です。都を移すことで、藤原氏にとって利権が転がり込んでくる仕掛けだったんでしょうね。法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

御本尊は釈迦三尊像?

金堂に安置されている【釈迦三尊像】が法隆寺の御本尊さま。聖徳太子を祀るお寺だから、御本尊は聖徳太子さま。 五重塔と金堂の回廊があるお隣に、聖徳太子さまを祀る社殿もあります↓。ここでご朱印もいただけます。法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

ただこの【釈迦三尊像】にも不思議な謎があります。創建当時からのお像ということですが、法隆寺は火災にあい、全て消失しています、つまり創建当時あったであろう像も。ということは後出しジャンケンポンで、藤原氏の都合の良いように作り替えましたと。まあ時代とはそんなものでしょう、時の権力者によりまがえる。法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

釈迦如来さま、仏像を飾る時にその両脇には本尊をお守りする神さまがお立ちになります。それ以外にも東西南北を守る持国天、広目天、増長天、多聞天さまがいらっしゃったり。釈迦如来さまの脇侍といえば文殊菩薩さまと普賢菩薩さまです。法隆寺以外のお寺さんではそうなんですが、ここ法隆寺では薬王菩薩さまと薬上菩薩さま。

夢殿の本尊であるこの救世観音像は法隆寺の謎

昔の聖徳太子デザインの1万円札の「透かし」だった夢殿↓。その前の最高額のお札百円札にも聖徳太子と夢殿が描かれています。お札を見ていれば自然と日本の歴史を感じた、でも今はそうではない。これは誰のなんのための仕業なのかもみなさん考えられた方がよろしいかと。なぜデジタル通貨を中国共産党は躍起になって推進するのか。聖徳太子の謎

五重塔と金堂のある場所から少し離れた斑鳩宮跡に建立された東院伽藍にあるのが夢殿。ここのご本尊が聖徳太子像でもあると言われている「救世観音像」。飛鳥時代に製作された観音像、いつからか秘仏とされ、木綿の白布にぐるぐる巻きにされ封印されました。なぜぐるぐる巻きにして見えなくしたのか? 聖徳太子像をそんな扱いをしなければいけない理由があったから。聖徳太子の祟りをおそれた藤原氏の仕業と思うのが一般的でしょうね。この夢殿を建立したのは聖武天皇の皇后、藤原不比等の娘である光明皇后。

1300年の歴史の中で生まれた謎、解き明かしてみませんか。

法隆寺の謎、隠された十字架@奈良県生駒郡斑鳩町

法隆寺 〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1−1
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