忍者の町・伊賀上野まち

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忍者の町・伊賀上野まち

忍びのまち、伊賀うえのまち

ゲストハウスに宿泊して外国の方とのおしゃべりで、必ずでてくる「忍者」。でも本当は「しのび」と呼ばれていたので忍ものでNinja。まぁBikeの名前もNinjaKatanaだもんねと。忍者の町・伊賀上野まち

私も大好きで知っていることを彼らに教えると大喜び。忍者と共に教えるのが仇討ち。イエズス会が編纂した『日葡辞書』には、忍者は「Xinobi」シノビとして記載され、17世紀初頭には海外の人々にまでしのび、忍者の存在は知られていました。忍者の町・伊賀上野まち

まだ小学生低学年の頃に、母方の親類で甲賀にいらっしゃる方がいて、夏休みに行ってびっくり。忍者がそこにいた、その驚きが鮮明に残っています。実はそこの子が猿飛佐助のように野山を駆け巡り、げんじをとるのがうまい。

手裏剣

手裏剣

「なんの事?」げんじとはヒラタクワガタ虫のことで、それをどうして獲るかというと、煙の出る花火をクヌギの樹によじ登り洞に突っ込む、そして出てきたげんじを確保。甲賀流も、伊賀との交流で火薬の扱いを知ったんダァと。忍者の町・伊賀上野まち

忍者の里と呼ばれている伊賀と甲賀は山々を挟んでお隣どうしみたいなもん、伊賀は今の三重県側で甲賀は琵琶湖の山の奥で滋賀県だけれど。伊賀は火薬の扱いが上手く、甲賀は薬草の扱いに長けていたと。そしてその地域で自治を成立させていて、もちろん両地域とも美味しいお米がとれ、水も豊富でどちらもうまい。忍者の町・伊賀上野まち

有名なのが『伊賀の炭酸水』、そのサンガリアの工場も電車から見えます。サンガリアさんを知ったのは「おーーん」の阪神タイガース岡田監督が、いちにーさんガリア、おーん、の宣伝から😆

徳川家康が知恩院切腹を断念して「伊賀越え」

戦国の風雲児・織田信長が明智光秀の反逆によって最期を遂げた時、最大の同盟者である信長を失った徳川家康は自害を決心。しかし家臣が説得してわずかな手勢とともに三河国まで、どのように逃げ伸びたのか。明智光秀の軍勢だけでなく、武装した現地勢力に襲撃される恐れもあった家康。忍者の町・伊賀上野まち

京都の宇治田原から滋賀の甲賀、そして三重の伊賀を通り抜け伊勢から伊勢湾を船で渡る最短ルートで三河国に帰る。一緒に逃げた家康の家臣の一人が伊賀忍者として知られる服部半蔵。家康はこの苦難の道を共にした伊賀と甲賀の衆二百人を召し抱えました。

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忍者屋敷

「伊賀越え」には伊賀と甲賀のしのび、忍者の協力があってこそ。マスコミというか情報操作なのか伊賀と甲賀は仲が悪いと思われていますが。しのびのものというのはどの武将の元で活躍するかで、敵と味方になる可能性もあるということですよね。大河ドラマは、あくまで嘘のドラマ、嘘はっ百。忍者の町・伊賀上野城好き好んで、俺の方が忍者として格が上だ下だなんて発想がそもそも私たち民族にはない。自分たちの領地の中で仲睦まじく、米をつくり、畑仕事をして暮らすのが一番だとわかっている。

忍者の町・伊賀上野まち

伊賀、甲賀は美味しい忍者に成れるお米の産地としても有名です

それを分捕ろうとする、つまり税金をかけたり、言葉でごまかした手当てと称して金をくすめとる役人なんかがでてくるからおかしな話になる。挙句の果てにお役人のトップはおねだり、くすねは平気、これをげのげの餓鬼と言います。そんな人間ではないものがトップになれる国は滅びるしかないですが。忍者の町・伊賀上野まち

忍者鉄道に乗って

関西から伊賀へ行く道中を観察してるとよくわかるんですが、伊賀を流れている川は淀川に通じている。川に沿って鉄道は基本走る。忍者の町・伊賀上野まち

西から伊賀に行くには琵琶湖の草津まで行きそこから甲賀、そして柘植へと。そこからJR関西本線、伊賀鉄道で上野町へ。忍者の町・伊賀上野まち

また大阪のミナミから近鉄で伊賀神戸までいき、そこから伊賀鉄道。JR大阪駅からなら大和路快速で奈良を抜けて関西本線へということもできる。色々な道が選べる、つまり交通の要衝地であったのが伊賀。だからお城もあるわけだけど。そして山を超えるとお伊勢さん。忍者の町・伊賀上野まち

伊賀鉄道の忍者列車、くノ一の目が鋭いなぁと初めて観たときに感じた。その作者が誰だとも知らず。「忍者市駅」についたときに、あれぇなんでここに999、どこかの町で観たのと似てるし忍者の町・伊賀上野まち

え、松本零士さんが電車のくノ一を描いたの! なら物語もマンガで創って欲しかったなぁと。そりゃぁ、眼力あるわ、メーテルをくノ一にしたんでしょと。すごい、でもなんで気づかんかったんニャロメ。西岡たかし 上野まち

西岡たかしさんの歌『上野市/うえのまち』

旅情を誘うようなリズムで歌われる『上野市/うえのまち』が大好きで。忍者屋敷のうえのまち。小さなお城のうえのまち。場内は決して小さいとは言い難いですが、、城内に忍者屋敷、松尾芭蕉の館、そして学校などがあります。

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忍者屋敷

歌の中にある「鍵屋の辻」なんて待ち合わせするには、いいネーミングだなぁと。行ってみてびっくり。AKR47とおんなじ、恨みを晴らす仇討ちの場所じゃんと。近代までは仇討ちは正当な行為として認められていたのが日本。権力、力をかさにきて、弱い者いじめするヤカラは、日本ではさげすまれるのです。そして仇討ちされても、よしとされるのが日本です。

鍵屋の辻 伊賀上野まち

鍵屋の辻

それが最近の戦争で負けたがために、アメリカ國GHQによる言論封鎖で消されて行った歴史。世界で唯一、核爆弾を使用できる権利を持って居る国は日本ですが、仇討ちの権利があるもんね、これこそがグローバルスタンダードというのです。

忍者の町・鍵屋の辻の仇討ち

鍵屋の辻の仇討ち

そうじゃん、原爆テロで何も知らない人たちが一瞬で生命を奪われたんだから。自分の都合の悪いことは歴史からかき消そうとするのが権力者がやることだしねぇ。内部通報者を探し出し、死に追いやる権力者が今でも神戸に居るから、それを探るために今でも忍者・しのびがいるのじゃぁ☺️忍者の町・伊賀上野まち

伊賀市の人口/85,032人、令和6年8月31日現在
忍者市駅〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内61−2
営業時間/ 7時00分~23時45分忍者の町・伊賀上野まち忍者の町・伊賀上野まち

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