クスコのへん、変なの
今では【平城太上天皇の変】と呼ばれる藤原薬子の変。まる子とついても、聖徳太子のように男性の場合もあるので、藤原さんが男なのか女なのかもよくわからないまま、受験のために覚えたクスコのへん。歴史では、よく出てくるのが藤原氏。天皇家に美しい女性を嫁がせては、裏で利権を得るわけですね。高校生時代、言われていたのが「藤原氏って美人局/つつもたせや女郎屋の親父と何らかわらんやん」と。
まぁ千年以上前は権力者の元では、おいしい汁をたくさん吸えたから、いろんな蛾が集まってきたのでしょう。そして天皇さんもそのお方に持ち上げられて、えらい目にあうと。それが「クスコのへん、ってカタカナで書くとインカ帝国のCUSCOクスコみたいで面白い」とも高校時代言ってた人がいました。
また藤原氏が出てくるのですが、平城京の奈良の都から藤原氏は都を移そうと画策。まず長岡京に遷都。そうして担ぎ上げられた嵯峨天皇。奈良から京都へと。嵯峨天皇に譲位後、平城京で引退していた平城上皇。平城上皇が寵愛した高位の女官・藤原薬子さん。あぁ、女の人だったんだ。その兄・藤原仲成が、まぁ権力をまだ持っていたかったんでしょう、平城上皇をそそのかして政治に干渉し出すようになったのです。朝廷の命令系統が嵯峨天皇側と平城上皇側の二つになってしまい、これを「二所朝廷」と教科書では呼んでいるのですね。
弘仁元/810年に再び平城京へ遷都くん?
藤原薬子と藤原仲成の後押しを受けた平城上皇は、天皇へ返り咲くことと平城京へと遷都することを画策します。それを知った嵯峨天皇は、混乱が東国に波及しないよう要所を守らせ、首謀者である藤原薬子を解官、藤原仲成を逮捕するのです。諦めた平城上皇は出家し、藤原薬子は自死しました。
嵯峨天皇側についていた藤原北家は、藤原式家出身の藤原仲成、薬子兄妹とともに、自分達にとって都合の悪い人物を【平城太上天皇の変】の同罪者として処分したのです。その中には官位を剥奪されて、葬儀埋葬すらできなかった大伴家持さんがいたりします。
まぁはたから見ると、藤原不比等の後継だった息子たちの三男坊の藤原式家と次男坊の藤原北家が、それぞれ仲違えして兄弟喧嘩の成れの果てが、天皇家を巻き込んだ権力闘争だったわけです。
橘氏の氏神として創建した神社「梅宮大社」
藤原氏とともに出てくる氏として橘氏が有名です。書道がお好きな方なら、ご存知なのが橘逸勢/たちばなのはやなり。そして彼とともに「三筆」と呼ばれるのが、弘法大師空海、そして先ほどまでよく出てきた嵯峨天皇。
その嵯峨天皇のお妃であるのが檀林皇后・橘嘉智子皇后。彼女が当時都人の別荘地であった現在の場所に遷座し、3000坪という広大な敷地を誇る日本庭園が美しい神社へと。
四季折々の美しい花が楽しめる京都でも屈指の名苑で、春から夏にかけて杜若、花菖蒲、あじさいなどが次々と咲き乱れ、早春にはもちろんその梅宮の名の通り梅の名所としても知られています。
夕されば 門田の稲葉 訪れて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く
百人一首の中で歌われているのが梅宮大社さんのある梅津。大納言源経信さんの歌で、境内に歌碑もあります。
また境内には稲の田んぼがありました。桂川を挟んで水もゆたかで、そのため梅宮大社はご近所の松尾大社と同じくお酒の神さまと言われています。珍しいのが菰樽が二階に並んだ梅宮大社の楼門です。
子授けと安産の神として名高い。大山祇神、木花開耶姫命、彦火々出見命、瓊々杵命父子三代の神と孫神の父神を祀り「血脈相続の守護神」とされています。梅宮大社さんでご祈祷をしていただいて、社殿にある「またげ石」をまたぐと、子宝が授かると伝えられているのです。
梅宮大社〒615-0921 京都府京都市右京区梅津フケノ川町30 開門/ 9時00分~17時00分 梅宮神苑/六百円
ご祭神
酒解神・おおやまずみのかみ大山祇神
大若子神・ににぎのみこと瓊々杵命
小若子神・ひこほほてみのみこと彦火々出見命
酒解子神・このはなさくやひめのみこと木花開耶姫命