地元の伝統工芸「高岡銅器」を象徴する存在、高岡大仏
13世紀に源義勝の手によって約4.8mの高岡の北西にある二上山に木製の大仏が造立されたのが始まりの高岡大仏さん。加賀藩の藩祖・前田利長(1562-1614)が高岡城を築いた際、慶長14/1609年城下町へと移転。しかし、江戸と明治の大火で2度の焼失を経験し大仏再建のために地場産業である高岡銅器の技術を結集して造営されたのが昭和8/1933年。台座を含めた高さは15.85メートル。大仏自体の高さは7.43メートルで、奈良の大仏の約15メートルと比較すると約半分。
阿弥陀如来の発する光明を表現した「円光背/えんこうはい」を持つなど精巧な造りが特徴で、そのお姿が端正であると、鎌倉大仏を「かまくらや御ほとけなれど釈迦牟尼(しゃかむに)は 美男におはす夏木立かな」と歌った与謝野晶子が、この高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」とたたえたといいます。確かにスーッとしたお姿で、格好が良い。丸い光背を持つ大仏も珍しいのです。
日本の銅器生産の9割以上を占める富山高岡銅器
富山高岡は江戸時代の初めから鋳物作りが盛んな町で、茶器や花器、仏具などの銅製品「高岡銅器」が有名です。今では海外でも高い評価を受けるまでの産業に。
寺院の梵鐘や銅像といった大きなものから、家庭用の仏具や花瓶、アクセサリーなどの小物まで。東京都葛飾区亀有駅にある秋本治のマンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公・両津勘吉像も高岡銅器です。ちなみに私は富山といえば剣岳、そうした山々を模した高岡銅器製のおちょこが好きなのだけれど。
高岡駅から繁華街を抜け徒歩10分の場所にある大佛寺。本堂の隣に鎮座していらっしゃるのが高岡大仏。地域から材料の提供を受け、昭和8年に高岡大仏は大東亜戦争が迫ると、苦労してつくった高岡大仏は存亡の危機を迎えます。
昭和16年、軍備増強のため当時の政府は金属類回収令を公布。全国から銅像や釣り鐘などが供出されました。高岡の大仏ももちろん供出の対象となりましたが、高岡市の人は、これに強く反対。大仏は回収の危機を逃れました。それ以来、90年にわたって大仏は高岡の街と人を見守り続けています。
鳳徳山大佛寺/創建年や開基については不詳だが、高岡大仏が最初に建立された1221年前後には既に大仏を祀る 〒933-0039 富山県高岡市大手町11−29
アクセス/西日本旅客鉄道・あいの風とやま鉄道 「高岡」駅、とほ約10分。路面電車万葉線 「坂下町」停留場、とほ数分