ちはやふる 神代もきかず 竜田川 業平寺@Kyoto

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ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

むかし、男ありけり

ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」百人一首にもあるこの歌をよんだのが在原業平。平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人です。平城天皇の息子・阿保親王の子にあたります、天皇さんから見れば孫。ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

しかし藤原氏が起こした事件・薬子の変で、同罪とみなされて阿保親王一族は不遇になります。日本でも有数の高級住宅地として有名な兵庫県芦屋市は平安時代は、阿保親王のご領地でした。そのため阿保親王塚古墳↓は芦屋市内にあります。親王塚町の山側ですね。親王塚古墳

在原業平は芦屋で暮らしていたと言う記録がありますから、まぁ都落ちをさせられたんでしょう。同じように行平も神戸市須磨へ都落ちしています。ありわら兄弟はよく混同されます。あの国語辞典『広辞苑』ですら50年間も、須磨で女の子を引っ掛けたのは在原業平と、まぁ色男のレッテルがあるから仕方ないのか😄

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芦屋川にかかる業平橋

色男の名をとった地名「業平町」や芦屋川には「業平橋」があります。

芦屋

六甲山から望む芦屋

はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

古典文学『伊勢物語』に書かれた数々の伝説から、平安時代のプレイボーイとして知られる在原行平、業平兄弟。業平の別荘があったとされる芦屋市月若町の住宅街住宅街の中に、ひっそりと「業平大神」そして「公光大神」と記された小さな祠があります。

芦屋業平祠

芦屋業平祠

兄である在原行平もまた都落ちをして、神戸市須磨で生活を一時していました。この時に須磨の海岸で一弦琴を弾いていたら、美しい姉妹と出会います。

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業平のお墓とされる宝篋印塔

桓武天皇の皇子である平城上皇と嵯峨天皇が対立し、今では教科書では「平城太上天皇の変」と呼ばれている薬子の変。嵯峨天皇が先んじて兵を出し、事を大きくしたくなかった平城上皇は出家して一件落着。なぜすんなりと負けたのか。

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本堂の屋根はおみこしの型をした珍しい建物

平城天皇が病を発症した時に、それは叔父さんにあたる崇道天皇・早良親王の祟りと言われていたため。今回と同じような天皇家の後継争い、と言っても周りのお公家さんたちのどちらが権力を握るかの抗争。それに巻き込まれる形で主犯とされて、早良親王は淡路島へと島流し。そこで無実の罪を晴らそうとしますが。その後、朝廷の周りで災いが頻発して早良親王の祟りだと。藤原氏の抗争に巻き込まれた天神さんと同じです。そのため、祟りを畏れて、早良親王は亡くなられてから天皇の座についたのですから。

天皇の座を退き上皇として旧都である平城京に隠遁しようとするが。嵯峨天皇の即位あと【二所朝廷】と呼ばれるように。権力の魔力で、その元につくお役人や女御たちはなんとか、こちら側に権力決定権をと。そんな京都の嵯峨天皇、奈良の平城上皇それぞれを押す人たちがいたんでしょうね。ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

人はこれをや恋といふらむ

まぁそれに巻き込まれてしまった結果になったのが在原行平、業平兄弟。日本で一番のイケメン、『源氏物語』の主人公の光源氏ですが。そのモデルが業平と聴けば納得する? 彼と女性との色恋物語をまとめたのが『伊勢物語』。もてすぎて、女の情にほだされて関係を持ってしまったと言う優柔不断な人が在原業平。

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寛文6/1666年に創建された不迷梵鐘/まよわずのかね

今で言う、もて男は在原行平の方だと。優柔不断な在原業平は在原行平よりも出世は遅かったようです。というより出世には興味もなく、日本の風情と美をこよなく愛したのでしょう。このお寺さんで紫の狼煙をあげていたことでも解ります。ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

からくれなゐに 水くくるとは

百人一首でも印象的なこの歌は、在原業平が愛している藤原たかこさんに捧げた歌だと。二条皇后になった元彼女が、藤原氏の氏神さまである春日大社を平安遷都の際に分社して建てた大野原神社に参詣される時に紫の煙を炊き上げた場所が、業平が晩年隠遁生活をおくった十輪寺さんの奥。ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

その塩釜の場所は今も残っています↓ 大野原神社参拝の後、私は近くのこのお寺さんを訪れました。ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

もう逢うこともできない彼女をおもひ、私はあなたが私の近くまで来ていることを知ってこうして紫のノロシをあげているよと。ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

業平は小高い丘に塩釜を築き、難波の海水を運んできては塩焼く風情を楽しんだと言うのです。風流ですねぇ。業平寺

京都というともう学生と外国人がウジャウジャとお金蠢く浮世という風情ですが、おんなじ京と言えどもこの地は自然豊かで静かな場所。ちなみに熊出没注意の場所でもあります。ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

塩釜の地形は原型のままで、塩釜の部分が故事に因んで復元されています。毎年11月23日には「塩釜清めの祭」、からくれなゐに紅葉を炊き塩で封じる密教加持が行われます。小塩山十輪寺は紅葉の名所としても有名です、ぜひ秋の時季に。また十輪寺は三方普感の庭に咲くシダレ桜の春が美しいです。またしだれ桜咲く時季に行けたなら写真をアップします。

業平寺とも呼ばれる小塩山十輪寺〒610-1133 京都府京都市西京区大原野小塩町481
交通アクセス/阪急電車「東向日駅」下車。阪急バス66系統に乗り換え約20分で「小塩」下車、徒歩約1分
開門/9:00~17:00 入山料/400円

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