神社は宗教だろうか
日本の国の成り立ちを伝えるために、神話の神さんが祀られている神社さん。これってお墓だよねぇ。立派なお仏壇と言っても良いかなぁ。こう書くと仏教になるけれど。そうなると宗教?
神社はお参りしますが、そこに住まわれている神さんを敬うという心のあり方が日本に住む民族。宗教的な意味なんてないですよね。信仰といえば良いでしょうか。宗教にしたいのは、唯一神を宗教とする、また独裁者を神と崇める第三国など。
靖国神社↓参拝を宗教儀礼などと言う、自分へ利益誘導したい人たちの言い草ですね。日本には八百万の神がいて自然も風も雷さんもみんな神さんなのです、一神教のイエスやモーゼがいたりしない国なんです。
日本を滅亡させて我が手に入れたい独裁者から金を貰いたい、お金を得て嘘をたれ流しても自分だけ儲けたいマスコミの人たち。今ある日本のために、祖国を護るために若い命を捧げた人たちを、敬い慕うことのが悪かぁ。
「神風特攻隊として日本を護ってくださった人に感謝したい」という趣旨の発言をしたパリオリンピックメダリストをマスコミは怪訝に報道していた。「自分で自分を褒めてあげたい」と発言したアトランタオリンピックメダリストを「自己満足だけ」みたいに報道したマスコミがいましたよね。いつの時代も権力を持てば、てめえら勝ちやと人を愚弄する。ほんま権力に対抗する手段を持たないひとりの人間を、自分が儲かる時はヨイショしておきながら、叩きのめすわけですから、自分さえ良ければえぇんかい、と成りますわね。
マスコミはさも神社へお参りすることを悪かのように偏向報道するから、今の日本人は神社参拝をためらったりする。まんまとゴミの世論操作に洗脳されているんですよね。「マス洗脳教」ですよね。天皇イコール神社というマスコミは、皇室の本を出したりして実は儲けている、天皇を馬鹿にしておいて裏で称えるかのように振る舞い金をせしめる、ホンマ悪辣ですわぁ。洗脳は怖いです。
日本の民主主義の根幹である民が選挙で人を選ぶという行動を、マスコミによって潰された事件がありました。「兵庫県知事引きずり下ろし」ですね。私たちが選んだ知事ですよ、それをお金がマスコミに流れこないからと糾弾する。また政党は自民党が旗色悪いから、維新が関西では強くなってるし、維新推薦の知事をひきずりおろせ、衆議院選挙もあるし、政教一致だとばかか。よってたかって組織によって一人の人間を崩壊させる、それを恥ずかしくもなくやっちゃぁおしまいよ。
兵庫県知事のありもしないパワハラを追求し、それに対して守秘義務から反論できない状態を作り上げ、一方的に攻撃して悪者に仕立て上げて、知事を辞めさせた。挙げ句の果てに自分の政党維新の会幹部にまでハシゴを外された、これが「大人の事情」というやつです。マスコミ、権力者による集団リンチだよなぁ、腹が煮え繰り返るよなぁ。もっと言えば公用パソコンって兵庫県民の資産じゃん、それをなぜ民は見ることができずに、マスゴミなどは見て隠蔽するんだぁ、おかしいダロゥ。民を馬鹿にするのもえぇ加減にしとけよ、と兵庫県民は怒った、当たり前です。初代兵庫県知事は大陸の人たちに嫌われている伊藤博文公です。これで解りますね、マスコミが何に支配されているか。
こんなことが一部の利権者のために成されて良いんだろうか? それなら情報操作できるマスコミとグルになれば良いんだねと。そんな裏切り行為は許されない国が日本だったんだけどなぁ。
平清盛は悪だったのか
教科書で学んだ源平の時代。平家が好き放題していたように書かれていて、それを成敗するために源家が活躍したと書かれてますよね。え、それってホント? 平安時代末期の治承4/1180年から元暦2/1185年にかけての6年間続く内乱。
強大な権力で強引に政治を推し進めていた、好き勝手してるように『平家物語』には描かれていますが。『愚管抄』には「よくよく 謹みて、いみじく計いて 、彼方此方しける」と平清盛が色々な方々へ気を配りながら、不安定な政界を生き抜いていたと。また当時平家は天皇家、藤原家と姻戚関係を結び、色々と配慮をしなければいけない立場だった。
一ノ谷の合戦は、上皇からの和解の詔を無視した源義経の騙し討ちだったと言う事実は伏されて、源氏が勝った! 勝てば歴史なんて書き換えられますからね。本当を自分の目で確かめることです、世の中がそう言っている、NHKがそう言っている、ドラマ平家物語はそう書いてある、新聞情報操作会社が自分の会社が儲かるように言っている、その大半は嘘だと思い、自分の頭で考えてみることですよね。
源平の戦いで指揮をとっていた源頼朝は、なんで弟である源義経を権力から排除し殺そうとまでしたのか。それは勝負を決めた「一ノ谷の合戦」で武士としてはやってはいけない禁じ手で義経は勝ったからでしょ。まぁ百歩ゆずって義経は和平を知らなかった可能性もある。
平家は三種の神器を持っていた安徳天皇を擁していた。そのため自分たちが利権を得たい朝廷側は、後鳥羽さんを天皇に即位させようとしていた。そこで三種の神器を手にいれるため上皇は平家と和平すると勅使を送り三種の神器を我が手にと画策して、平家はそれに従おうとしていた。
そうでなれば、戦を今からするぞと陣をはっている一ノ谷で音楽会なんてしないでしょう。しかも安徳天皇が須磨一ノ谷におられるんですよ。和平で油断した隙に源義経は天皇めがけて攻め込んだ。アメリカを建国された方が、和平しますよと先住民族インディアンを契約という嘘で油断させて皆殺ししたのとおんなじ戦術ですよ。日本ではこんな騙しは戦術とは言いませんが。
空海が天皇家へ献上した青葉の笛
安徳天皇を喜ばせるためだったんでしょう雅楽が演じられていた平家側の陣。一ノ谷から美しい音色が聴こえてきたと源氏側の武将たちは言っていますね。「須磨の浜に聴こえし青葉の笛」と。
なぜ千年も前のこんな話が語り継がれるのか。それは私たち日本人の琴線に触れることだから。
なぜ青葉の笛。それが判ったのが、源氏側の陣地であった須磨寺での首検証によって。熊谷直実が持ち帰った首と、その彼が持っていた笛。『平家物語』で一番涙を誘う哀話である「平敦盛の最期」のお話。源氏の武将たちは、和平するつもりでいた平家には戦う意志がない事を知らされていなかったんだろう。一ノ谷の合戦は源氏側撫で斬りの圧勝、当たり前だけれど。
なぜ平家を推す人がいるのか
「騙し討ち」は日本民族では許されない行為、最低限の規範なんです。嘘をつくことをたいへん嫌う日本民族では騙し討ちで勝ったとは言えないのです。ましてや天皇に対して戦いを挑み、そしてこともあろうか三種の神器を壇ノ浦の海に沈めてしまった。
源頼朝が義経を嫌ったのは、和平で偽りの「騙し討ち」の勝利が原因でしょう。たとえ弟であっても「それをやっちゃぁお終いよ」と。これを作戦と呼ぶ民族もいますが、当時の武士は敵と「正々堂々と対峙し、名乗りをあげる」のを良しとした。これが武士道でもありますからね。
だからまだ子どもと言っても良いくらいの十代の若武者であった平敦盛は、熊谷直実によび止められて、戻り勝負した。「なぜこの武将は名乗りをあげなかったのか」と直実公は思ったことでしょう。源義経の下賎な戦略に従い、自分の息子と代わらない十代の名乗りすらあげられない若い武将を打ち首にしてしもうたと。熊谷直実は、のちに一ノ谷の戦の騙し討ちを知ったんだろうなぁ。
「どんなに罪が深かろうと、念仏を一心に申せば必ず救われる」という法然上人の門下に入り、故郷にも戻らず京都長岡京に庵を建て、平敦盛の菩提を弔います。お寺を持たないとおっしゃった法然上人がお眠りになる現在の長岡京光明寺さんです。
厳島の大鳥居横にあるちいさなお社
もともと安徳天皇、二位の尼とご一緒に三翁神社に祀られていた平清盛の御霊を、没後七百七十年の節目にあたる昭和27/1952年に、大鳥居横の岬の地に造営されました。それは愛する妻である二位の尼・平時子さんが壇ノ浦で入水し流れ着いたところが厳島だったから。
清盛神社が鎮座している厳島西松原は、国宝嚴島神社のお姿を観るのに絶好の展望良好の場所です。この西松原は平清盛時代には海だった場所。天文10/1541年に、嚴島神社奥を流れる紅葉谷川からの土石流で社殿が破壊されました。この流れでた土砂で造られたのが西松原。紅葉谷川はその時に流れを変えられて、神社横の人工の御手洗川に土木工事されています。
意外なのですが景色が良いのに西松原を訪れる人は少ないのです。ここにあるお茶屋さんも、令和6年の時点で寂れてしまっていました。有の浦海岸から大鳥居や嚴島神社をご覧になられる方は多いのですが、こちら側からの方がお姿が原爆テロで破壊された復興した広島の町をのぞみ綺麗に観えますよ。
清盛神社/鎮座地〒739-0588 廿日市市宮島町 28
開門時間/24時間 静かなちいさなお社です