何処で 春の雷を聴くと
あぁ今年のお花見は行きそびれたと。今のソメイヨシノの桜のお花見が始まったのはつい最近のことで、日本では平安時代から桜は梅の花の次に愛でられていた。
そして平安時代の桜の花はピンクではなく白や緑色だったと言うと驚かれる方もいらっしゃる。ソメイヨシノは桜の名所の奈良県吉野の山桜からその名前は取られているが、自然にできた桜ではなくクローン。成長の早い木に接木をして草花を栽培させることはよくあること。
大島桜などの根がある樹木に接木をして成長が早くて花がたくさんつく桜を江戸染井村の人が江戸時代に完成させた。それが今の桜。ただ成長が早い分、老化も早くて100年は持たないと言われている。そのためソメイヨシノがたくさん植樹された戦後の木が、だんだんと弱ってきているのも事実。
今までソメイヨシノの桜の名所だったところが、花のつきが悪くなり、新たに植樹したりして整備されていたりします。
ソメイヨシノだけのお花見なんてつまらない
今年の流行色というのがありますね、2024年なら世の中を明るく照らすハローブルー#4f8bc2、淡いオレンジトーンのピーチ・ファズ#FFBE98。
平安時代には日本では浅葱色#8CD2BCが流行していたそうで。その色に似た花をつけるギョイコウ/御衣黄と呼ばれる遅咲きの桜が愛でられていたそうです。平安時代のお花見は里桜だったとも言われています。
初めて見た人は「え? これが桜」って。桜の花びらの数は5枚だけと思ってる方も多いですが、花びらの数が多い里桜と呼ばれる品種が数多くあります。こうした里桜をご覧になられるのなら大阪の造幣局の「桜の通り抜け」が最適ですね。
平野神社と桜のゆかりは第65代花山天皇の命で寛和元/985年に開かれた臨時の勅祭に始まります。その際天皇自ら桜を植えられた植樹されたこともあり、毎年4月10日に開催される「桜花祭」の起源とされています。
「桜の平野」と称されるまでに春の京都一番の名所となった所以には、応仁・文明の乱後、荒廃した社殿を寛永年間(1624~1644)に再興した神主の西洞院時慶が桜を愛し植樹したことから。
桜の品種は約60種類にもおよびます。その数400本以上、そしてこの地に400年以上も花をつけている素晴らしさ、それが自然を愛でる私たちのDNA。桜苑の中では飲食できます。
そしてこの平野神社のすぐお隣は梅の花見で有名な菅原道眞公の北野天満宮さん。年によっては天満宮さんでまだ梅の花も残り、そして平野さんで早咲きの神門前の枝垂れ桜でお花見ができたりもします。ちなみにシダレ桜の品種は、ソメイヨシノの開花宣言よりも早く咲きます。
花衣みにまとう 旅に出るいとつばめ
樹木により根の張り方が違います。そのため桜のように地面近くを這うように根をはる樹木は庭木としては嫌われます。そして根が地中深くにはあまり行かない桜の樹木は風により倒木したりします。平野神社の桜も平成30/2018年の台風21号で被害を受けたと。私が京都のお花見でオススメする淀川堤の背割堤桜も大木が倒れていましたからね。
桜の花は折れたりすると、そこから水が入り腐り枯れやすくなるというデリケートな樹木です。そのため人の手が加わらないと、いつまでも同じ姿を保つということはできないのです。また里桜などは改良品種ですから寿命も短くて、そのために接木などで、その花を守って行かなくてはいけません。
平野神社では台風で倒れた桜に代わる後継の樹木を植え2022年に社殿の修復もできて、桜のお宮さんとして再スタート。桜の花苑を保つための寄付も受け付けておられます。
お正月に起こった能登半島地震復興支援のためのコンサートが毎月1日に行われています
延暦13/794年桓武天皇の平安京への遷都の際、今木神 /いまきのかみ、久度神 /くどのかみ、古開神/ふるあきのかみ 、比賣神/ひめのかみを遷座したことに始まる平野神社。代々の朝廷から格別の崇敬を受ける二十二社にも選ばれています。桜コンサート
〒603-8322 京都府京都市北区平野宮本町1 開門/6時から17時 桜苑は桜保護のための入園料が必要五百円
アクセス/阪急・嵐電「西院」駅から30分。市バス203 北野天満宮・出町柳駅・銀閣寺行き「北野白梅町」から徒歩8分