城崎温泉で外湯巡り
城崎温泉といえば【外湯めぐり】。旅館の中にあるお風呂のことを「内湯」、外にある共同浴場のことを「外湯」と言います。城崎温泉は1300年前に道智上人が一千日祈願して湧き出した温泉が「まんだら湯」で、これが城崎温泉のはじまり。そして城崎に住む人々にとって、7つの外湯は自宅のお風呂のようなもの。
7つの外湯はそれぞれ趣が違い、効能やまた熱さも違って面白いです。外湯めぐりで一番気をつけておきたいのが、営業時間と定休日がまちまちです。朝7時から開いているのが地蔵湯、一の湯、御所の湯、鴻の湯で午後23時まで。午後3時からは開くのが柳湯、まんだら湯で午後23時まで。JRの駅舎横にあるさとの湯はお昼13時から21時まで。
七つの外湯を全て回ろうとすると午前から夕方まで丸一日必要ということですね。ただその間にロープウェイで山に登ったり、玄武洞を観光しに行ったりするとベスト。関西からだと日帰り旅で十分楽しめるのが城崎温泉。浴衣を着て温泉めぐりなら宿泊、リーズナブルな泊まりだけの5千円くらいの旅の宿もあります。日帰り温泉には外湯1日券「ゆめぱ」がお得、大人1,500円、小人750円で城崎7湯外湯に入り放題の券で、各外湯の窓口で購入できます。一箇所だけなら大人800円、小人400円さとの湯のみ大人900円、小人450円。
温泉が湧くということは地震があるということ
難病の人々を救う為に、当所鎮守・四所明神の神託により、 千日間の修行を行った末に湧き出たのが「まんだら湯」でここが城崎温泉の元祖と言えます。開湯から1300年の間、城崎温泉が経験した最大の危機は大正14/1912年5月23日午前11時9分に起こった大地震/北但大震災です。豊岡・城崎方面にマグニチュード6.8の激震が走りました。水平動からはじまった揺れが、次第に上下動となって家屋を倒壊し、続いて大火災が発生。城崎の街は、24日未明まで燃え続けたといいます。下の絵葉書はその当時のもので、外湯の地蔵湯から一の湯の方を撮影したものです。
打ちひしがれた城崎の人々を勇気つけたのは、周りの人々。地元城崎の青年団による支援活動、鳥取高等農業学校の学生有志による救援隊、但馬の歯科医師による救護活動、大阪毎日新聞社の救護活動だったと言います。日本には敗者復活という言葉があります。判官びいきという言葉も、弱いものに肩入れをする、助ける共助の大切さを私たちは持っているということです。
ほんの110年ほど前の荒れ野原から昭和10/1935年頃には、今の城崎温泉の形が出来上がったと言われています。
元祖・城崎温泉
【まんだら湯】は商売繁盛・五穀豊穣、一生一願の湯と言われています。道智上人が一千日の間、八曼陀羅経/はちまんだらきょうというお経を唱え続けたところ、満願し霊湯が湧き出したのが城崎温泉のはじまり。
それでマンダラ湯です。営業時間/15:00~23:00定休日/水曜日
本家・城崎温泉
【御所の湯】は文永四/1267年に後堀河天皇の御姉・安嘉門院が入湯されたと『増鏡』に記載されていることから。この横には四所神社があります。火伏防災・良縁成就、 美人の湯。但馬の山をイメージしたキンキマメザクラやミツバツツジ等の植栽を施し、裏山を借景にした開放感溢れる露天風呂が広くておすすめです。営業時間/7:00~23:00定休日/木曜日
オシ・天下を取れる湯
合格祈願・交通安全、開運招福の湯の【一の湯】は江戸時代にできた「新湯/あらゆ」が江戸時代の名医・香川修徳により日本一の温泉と呼ばれて、その後改名して天下一の「一の湯」に。営業時間/7:00~23:00定休日/水曜日、家族風呂もあります。
コウノトリのまち豊岡・鴻の湯
夫婦円満・不老長寿、しあわせを招く湯の【鴻の湯】は足を怪我したコウノトリが傷を癒やしていた場所をよく見ると、温泉が湧き出していたそうです。これが「鴻の湯」です。営業時間/7:00~23:00定休日/火曜日、JR駅からは一番遠い場所にあります。近くには温泉寺やロープウェイがあります。
電車を降りてまず向かうはここ・地蔵湯
この湯の泉源から地蔵尊が出たので「地蔵湯」という名前がついた水子供養、衆生救いの湯と言われています。
2階には家族風呂や畳敷きの広い休憩所などもあります。営業時間/7:00~23:00定休日/金曜日
こじんまりとしている柳湯
地蔵湯と一の湯の中間にあるのが柳湯。外湯の中では一番小さい温泉ながらも風情があります。営業時間/15:00~23:00定休日/木曜日
電車待ちでひとっ風呂、足湯も駅舎温泉 さとの湯
外湯のなかで一番新しい温泉がさとの湯。アラベスクタイルが貼ってある蒸し風呂があったり、屋上露天と一風変わった外湯です。
入り口には無料の足湯も。営業時間/13:00~21:00定休日/月曜日