神降臨!氣比大神宮はじまりの地【土公どこう】
土公とは、陰陽道における土地を司る土公神のまたの名前。神宮社殿ひがしの小山に伊奢沙別命/イザサワケノミコトが降臨したと伝えられているところです。今はなんと小学校の運動場の中というか、神さんに守られているところに小学校を造ったというか。敦賀北小学校校庭の中にあります。
ここが日本でも屈指の超絶パワーが溢れる場所と言われています。確かになにかしらひかれる気があります。そしてこの土公をふたりの仏教界の大物が訪れます。
泣く子も黙る氣比大神宮
国の重要文化財にもなっている大鳥居は、奈良の春日大社、宮島の嚴嶋神社と並んで、日本三大鳥居のひとつと言われています。厳島神社の海に立つ大鳥居と同じく両部式と言われている鳥居です。
今ではここが神宮の入り口と言えますが、以前は土公の東側が正門でした。なぜ西に大鳥居を造ったのか、ここから浜側が発展してゆき人々がこちらから来るようになった、また西方浄土の考え方からとも言われています。今では、確かにこの鳥居前から街が広がっている感覚です。
かつての越前国の中では、最も格が高いとされる一の宮とされ、明治維新以降の近代社格制度、神社を等級化した制度でも最上位の官幣大社とされています。地元では「けいさん」と親しみをこめて呼ばれています。
日本仏教の二大開祖である空海と最澄が祈る
天皇の命を受け、国家の安泰のためにこの土公さんの前で祈祷をささげたのが空海と最澄。弘法大師空海はのちに「高野山をなげうってでも、氣比神宮と嚴嶋神社を守れ」と言われているほどの聖地なのです。
明治時代の政治力により、神社とお寺さんが分けられて、また神社の格式も改められたりしています。これは何を意味するのか? はみなさんの頭で考えられたらいいと思いますが。神式でお祝い仏式でご供養なんて今では言いますが、江戸時代までは神社も仏さんもおんなじ。だから慕われた人は神さんとして祀られた、それが天神さんや楠公さん。神社がお墓ですよね。氣比大神宮にもあります。
敦賀という地名発祥の地
土公さんのすぐ横の神宮境内に社があります。角鹿つぬが神社といい、敦賀の名前の由来となる神社さんです。紀元前100年ほどの昔むかし朝鮮南部の国・任那/みまなの皇子である都怒我阿羅斯等命/つぬがあらしとのみことは、天皇氣比大神宮の司祭と越前国の政治を任せられます。つぬが神社の御祭神は都怒我阿羅斯等命。
北陸新幹線開業でワク、JR敦賀駅前には彼の像↗︎があります。そしてここから氣比神宮さんまでは「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の銅像が迎えてくれ楽しいです。どうして?
それは東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走っていたのです。「欧亜国際連絡列車」=銀河鉄道なんですね。そのな残りの欧亜国際連絡列車の旧敦賀港駅舎↙︎も海沿いにあります。意外とアニメファンにはこの銅像群知られていません。今度紹介します。
氣比神宮〒914-0075 福井県敦賀市曙町11−68
開門/6時00分~17時00分