神戸の港/津の元祖は和田岬から始まった
奈良時代から兵庫の津、大輪田泊/おおわだどまりと呼ばれた良港の兵庫の港。その和田岬を港湾整備したのが平清盛公。大土木工事を起し経島を築き、和田岬の他に6ヶ所勧請し、兵庫七弁天と称したと言われています。
ここ和田岬には、日本列島を創ったと言われているイザナギノミコト男神とイザナミノミコト女神の間に生まれた子どもが流れてついたところと言われています。
二柱の神の子、蛭子/ヒルコは『日本書紀』では不具の子であったと伝えられ、船に乗せられて海に流し捨てられてしまいます。その蛭子がお祀りされた神社が和田神社です。関西では○○神社の名前を呼ぶ時には、神社は発音せず「さん」をつけます。ここは「和田宮さん」。
歴史の舞台にもなった和田神社
寛文2/1662年に尼崎城主・青山大膳亮幸利公/あおやまだいぜんのすけよしとしこうの発願によって社殿と隣松院が建てられます。
この隣松院では、安永7/1778年与謝蕪村が俳諧の会を開催したり、文久3/1863年14代将軍・徳川家茂が勝海舟と共に幕僚を従えて会合を持っています。勝海舟は神戸海軍操練所を作り、ここで坂本龍馬も学んでいます。
太閤秀吉の朝鮮遠征によって壊された国交の回復の必要性を感じた徳川家康は慶長12/1607年に国交を回復しました。そして徳川時代に幕府の慶事があるたびに、朝鮮半島から通信使がここ兵庫の津に11度来られています。宝暦14/1764年に風雨のために船が出航できず、和田宮さんへ祈願されています。
なんといっても目を引かれる白蛇さんたち
白蛇大神を祀る神社である和田宮さん。ナント言っても、観た人は一応に驚くパワースポット「巳塚」。白い蛇の置物に願いをかいて奉納されています。
なぜ蛇なのか? それは境内にある大きな松の木の根元に白い蛇が現れたのです。この松の木は神さまの仮のお姿と言われている「影向松」です。
和田神社の主祭神は、天御中主大神/あめのみなかぬしおおかみと蛭子大神/ひるこおおかみ。そして承安3/1172年に平清盛が安芸の宮島より勧請た市杵嶋姫大神/いちきしまひめのおおかみ、弁天さま。
デカイの好きなのが意外とこうべ
大きな赤い鳥居も目をひきます。阪神淡路大震災前までは石造りの巨大な鳥居もありましたが、震災で崩壊しました。
神社の周辺には、巨大な三菱重工の工場群、そしてデカイビッセル神戸のサッカースタジアムがあります。清盛塚や日本三大大仏のひとつ兵庫大仏の能福寺さんがあります。
神戸和田神社 〒652-0863 兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3丁目2−45