観音浄土へ渡海する
JR那智駅の前には美しい那智の浜が広がります。ここに観音浄土という意味のサンスクリット語ポータラカの音訳「補陀落」というお寺さんがあります。御本尊は千手観音さま。
平維盛(たいらのこれもり)が沖に漕ぎだして補陀落渡海したのがこの地とされています。この補蛇洛山寺から小さな船に閉じこもり30日分の灯火のための油と食糧をたずさえて、生きながらにして南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指したのです。
平維盛は清盛の孫にあたる武将で治承寿永の乱において大将軍として出陣するも大敗して逃げ帰り、「何故敵に骸を晒してでも戦わなかったのか、おめおめと逃げ帰ってきたのは家の恥である」と清盛は維盛の醜態に激怒したと言われています。
須磨一ノ谷の合戦から
平維盛は一ノ谷の戦い前後、密かに陣中から逃亡。高野山で出家したのちに、熊野三山を巡り、そして那智の浜から自決の渡海をしたとされています。『平家物語』には「那智の沖の山成島に渡り、松の木に平清盛・重盛と自らの名籍を書き付けたのち、沖に漕ぎだした」とあります。
渡海は千日修行などと同じようにもおもえるのですが、小船で太平洋の海原に乗り出すのは普通正気の沙汰とは思われません。つまりは死を意味する旅に出るといいうことですね、それなりの覚悟を持ってして。那智の浜から25人の信者が観音浄土を目指して船出したと記録されています。期間としては平安時代から江戸時代までの間。
平安時代、鎌倉時代は本気で観音浄土を求めて渡海したようですが、室町時代以降は儀式化していき補陀洛山寺の住職は60歳くらいになると渡海をしていたようです。自死するために渡海するのが嫌で、途中で命が惜しくなったお坊さんが小島に上陸したのを、役人が海に突き落としたという事件もあったようです。
浜の宮王子社
浜の宮王子社とは、現在の熊野三所大神社の場所。王子社とは、熊野の神様の御子神/ミコガミが祀られているところで、熊野へのお参りへの道にある参詣者の休憩所と呼ばれる所です。
浜の宮王子社はかつて「なぎさのもり」と言われ、その面影が残るのが立派な数本の大クスノキ。平安時代の貴族・藤原宗忠の日記『中右記』には「南に海があり、景色がきわめて素晴らしい浜宮王子に参る」と。浜の宮王子の社は江戸時代の宝永4/1707年の南海トラフ巨大地震の津波で流出して現在はありません。
ここは熊野那智大社への入り口。那智大社へ行かれる方はここで古来の方々のように浜でお清めをしてのぼられるのも一興かと。
熊野三所大神社(クマノサンショオオミワヤシロ)
祭神/夫須美大神 家津美御子大神 速玉大神
補陀洛山寺
ご本尊の千手観音は苦悩する人々を救うと言われ、重要文化財に指定されています。
参拝可能時間/午前8時30分~午後4時
熊野の那智駅から徒歩ですぐ5分
クルマでは、補陀洛山寺のとなりの駐車場を利用できます。
〒649-5314 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮348