伊勢神宮、出雲大社と並ぶ日本三大神宮の石上神宮

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日本三大神宮の石上神宮

誰かに守られているような感覚の天理の地

学生時代に天理大学へ何度かクラブ活動で訪れたことがある。当時は黒紫の法被を着た人たちが、道という道を掃除されていた印象が残っている。街全体がなんだか紫色で、試合で訪れた京都の龍谷大学とおんなじだぁと不思議な感覚だった。関西の大学というのはイデオロギー色が強い公立学校だったり、宗教色が強い私学が多くて部活で訪れるたびに驚いてた。日本三大神宮の石上神宮

ただその大学に所属していても、宗教を信奉しているわけでもなかった。ただ宗教系の大学はキリスト教学なり仏教学なりが必修科目として存在し、信仰するしないに関係なく一応学問として学んだりもした。とある新興宗教の同級生はキリスト教学を学び、チャペルアワーが必修ならばと大学を辞めて、その宗教の大学へいきなおしていた。日本三大神宮の石上神宮

何年かぶりに訪れた天理市は、掃除をしている法被姿の人がいなかった。というかJRの駅前は何処もおなじ様変わり。古墳みたいな造形物とその隣には山登りグッズのモンベルの専門店が。モンベルファンの私は思わず入ってしまった。そして学生時代は華やかだなぁと思って歩いた天理教の施設に続く商店街は、何処もおなじシャッター通りに。途中で天理ラーメンを食べようかどうしようかと迷ってたら、ここだけ長蛇の行列で断念。日本三大神宮の石上神宮

諦めようとしたその時。並んでた人に「すいませんねぇ」と言われてしまった。それにしてもここ天理はなんだかさわやかで、なんとなく悪い人などいない気がしてしまうのが不思議な空間なのだ。

石上神宮

天理駅から商店街アーケードを抜けて、天理教施設を抜けた先にある岡が石上神宮入りぐち

日本三大神宮のひとつ

石上神宮・いそのかみじんぐう」は、日本最古の神社のひとつで伊勢神宮、出雲大社と並ぶ日本三大神宮。日本最古級の神社のひとつだが意外と知られてはいない。私も天理大学に部活で来たときに、この大学の近くに和歌にも重要な神宮があるとは知らなかった。日本三大神宮の石上神宮

創建は紀元82年というからとんでもない。神宮というのは神社の上の格とも思われていますが、これは日本という国の成り立ちを造った神さまを祀るという意味からで、島根の出雲、奈良の石上、三重の伊勢と。左翼の共産主義者の独裁者が国を治めるのが良いとする人たちにとって、神社というのは腹だたしい存在。そして神道=天皇と結びつけてしまう。その天皇家は神宮で言えば、伊勢神宮さん。日本三大神宮の石上神宮

だけど出雲もここ石上も神宮。そして天皇家は、お伊勢さん。なぜ? それを考えると日本という国家の成り立ちみたいなものが推測できるんじゃないかなぁ。出雲大社は国を譲りなさいと言われて、喧嘩をしても仕方ないと大国主大神。大国さまが築かれた国は「豊葦原の瑞穂の国」と呼 ばれ、その瑞穂の国がここ大和なのだと。日本三大神宮の石上神宮

奈良の大和路を旅した人なら判るとおもいますが、その土地の豊さ。ここ石上神宮のある天理から南へ山の辺の道が続きお山信仰の元祖とも呼ばれるおおみわさんが。その歴史と神秘に満ちた雰囲気でこの辺りを散策してるだけで、不思議な力に圧倒されそうだけれど、なぜだかそこに住む人はほんわかしている。乙女らが袖布留山の端垣の久しき時ゆ思ひき我は

乙女らが袖布留山の端垣の久しき時ゆ思ひき我は

この歌は日本最初の歴史書でもある『萬葉集』に掲載された歌人・柿本人麻呂公の歌。をとめは巫女さんだろうか、袖布留山は禁足地になっている石上神宮の神殿の向こう側。その場所とを分ける結界の青垣だろう、そこの前で巫女さんが舞っているだねぇ。それをみて人麻呂公は、長い日本の国の成り立ちにおもひをはせてるんだろうね。人麻呂公は斉明6/660年生まれ、1300年以上前から日本の国は素晴らしかったんだろうなぁ。乙女らが袖布留山の端垣の久しき時ゆ思ひき我は

驚きませんか、キリスト教暦でいうゼロ年前からこの地は神聖な場所で、今でもそこで祭祀がおこなわれていることに。それは日本という国を造ってくださった神のお住まいになられる場所だから。石上神宮

日本語を理解できない他国民のかたに、日本でいう所の神さんは、キリスト教など宗教でいうところの神とは違うんです。八百万の神がいるのが日本で、そのほかの国の神は唯一無二、だから戦争をする。日本三大神宮の石上神宮

国を造られた人たちに敬意をしめす形が、私たち日本人の祈るという姿です。ここには西洋人大陸人が言う宗教的な意味など微塵もありませんからね。

出雲建雄神社

出雲建雄神社

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞおもう

第72代白河天皇が永保元/1081年、当神宮の鎮魂祭のために宮中の神嘉殿を移したものが石上神宮の拝殿と言われています。つまり今の拝殿は、袖布留山の前に千年以上のあと建てられたと言うこと。それが今ではもう一千年経ち国内最古の拝殿で、国宝にもちろん指定されています。拝殿までには眷属である鶏が迎えてくれます。またオススメは、拝殿前の岡にある摂社の出雲建雄神を祀る「出雲建雄神社」。国宝にも指定されている拝殿は、中央に一間の馬道と呼ばれる通路を開く割拝殿の典型的なものです。

出雲建雄神社

出雲建雄神社拝殿

中世の時代は興福寺の荘園拡大によって、たびたび抗争が起こります。戦国時代に入ると織田勢力に壱千石と言われていた神領も没収されます。しかし地域の氏人たちの強い信仰によって、心のより所として護られて来たそうです。静かな自然の中に、何かしらの力を感じる空間です。

日本三大神宮の石上神宮

国宝の石上神宮拝殿

主祭神は、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊・ふつのみたま」に宿られる布都御魂大神・ふつのみたまのおおかみ。死人をも蘇らす力があるとされる10種の神宝「天璽十種瑞宝・あまつしるしとくさのみづのたから」に宿られる布都御魂大神・ふつのみたまのおおかみ。八岐大蛇・やまたのおろちを退治したとする神剣「天十握剣・あめのとつかのつるぎ」に宿られる布都斯魂大神・ふつしみたまのおおかみです。

石上神宮神武天皇と軍隊を毒気から助けたという「ふつのみたまの剣」は、その不思議な力から【起死回生】のご利益にあずかれると言われています。剣に宿る霊力で軍事的な守護神として崇拝されているのです。布都御魂剣の不思議な力によって、現在、何かに悩んでいたり苦境に立たされていたりする人も心が救われるでしょう。石上神宮のお力添えで、あなたをいい方向へ導いてくれる可能性がありますよ。日本三大神宮の石上神宮

石上神宮〒632-0014 奈良県天理市布留町384
開門/9時00分~17時00分
石上神宮

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