広島の応援といえば
春のセンバツ夏の甲子園での広島代表の応援席では、みんなが「しゃもじ」を打ち鳴らす。そしてなぜだか赤いメガホン。
これカープ? って。広島はどうしても原爆を落とされた街だから、左の赤い人たちが多いイメージが。というか、迷惑な話だが8月6日の時に全国から共産党の青年組織・民青の方が集合してしまう。
しかし、広島は意外と保守的で一応にお上のゆうことは聴く、あんまり信用もしていないというぬるっとした感覚。私は好きなのだが。
集団としてのまとまりもあるが上に、もう野球の応援なんてすごい。そこに登場するのがしゃもじ。「なんでなん?」とおもう人もいらっしゃる。でも宮島に来られたら、その理由がよくわかる。
ご神札の代わり? とおもうくらいしゃもじに「必勝祈願」「商売繁盛」「家内安全」と書いてある。大願寺さんには嚴島神社から神仏分離令で神社からお寺さんに移られた辯財天さんがいらっしゃる。そこにはたくさんのしゃもじが。
「必勝祈願」で敵を召捕ると飯を取るを言葉がけしているのがすごい。
宮島は元々は無人島
神の島であった宮島は、今では人が住んでいますが、それは江戸時代から。平清盛公が海上神殿を造った平安時代は、祭祀の時だけ、宮島に人が渡ったと。そのために手付かずのまま原生林の森が残っているのです。瀬戸内海の大三島も巨木が残っているのは、おんなじ理由から。
人が島に住みだしてからも、島に田畑を作ることが禁じられていました。そのため年貢として米を納めることができず、その代わりに薪を納めていたのです。
せいしんしゃもじ「誓真杓子」
瀬戸内海の島々はどこもそうですが、一番困るのが飲み水。そのために橋が架けられて、人の行き来だけでなく水道管を通しているのです。飲み水に困っていたのは宮島もそうでした。江戸時代、そこに一人の男が立ち上がります。神泉寺の僧・誓真/せいしん(出生年不明~西暦1800年59歳でご逝去)という男が、宮島に井戸を掘り飲み水を確保したのです。今でも五つほどの井戸がまだ存在しています。また彼は石段を造ったりと、宮島のインフラ整備にご尽力されたのです。
「宮島の人々が農作物が作れず困窮しているのをなんとかならないか」と。そんな時に夢見たのが辯財天、彼女が持つ琵琶のカタチからしゃもじを思いついたのです。宮島に育つご神木の端材から作ればご神徳を蒙り福運をまねくと。インフラ整備だけでなく、産業まで生み出したのです。死んだ歴史が残したもの、それが今も生き続けているんです。
優しい顔の辯財天さん実は「戦いの神」
嚴島神社の御祭神は宗像三女神。その市杵島姫神は、神仏習合で辯財天さんになりますよね。もともと日本というお国柄は、宗教が喧嘩するとろくなことはないと、そのために自然信仰、神道、仏教を一つにしようと考えたんです。それが聖徳太子であり、弘法大師空海でした。ひとところに権利権力を集中させるとろくなことはないと。その一つのカタチがこうした神仏習合です。
日清・日露戦争の時代、広島の宇品港からかの地へ出征するため全国から召集された兵士が、出発前に嚴島神社を訪れて無事な帰還を祈願し「敵をめしとる」という言葉に掛けて杓子を奉納しました。そして無事に帰還後、故郷へ宮島のしゃもじを土産物として持ち帰ったのです。
宮島杓子は、巧妙な技法
江戸時代の一人のお坊さんが考案した「宮島しゃもじ」。それが今でも役にたつ民芸品として成立しているのです。神の島のご神木から作られたしゃもじ、おみあげにはぴったりです。
千畳閣近くにある「etto宮島交流館」の入り口には世界最大のしゃもじが入り口に展示されています。長さが7.7メートル、最大幅が2.7メートル、重さが2.5トンの大杓子です。嚴島神社の世界遺産登録を機に展示されています。
etto宮島交流館 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町412
営業時間/ 9時00分~21時30分 月曜定休日、しゃもじは屋外展示なので見ることはできますよ。
ご祈祷しゃもじは大願寺さんへ
〒739-0588 広島県廿日市市宮島町3 開門/8時30分~17時00分