外様大名のトップ、加賀百万石の前田利家公
織田信長、豊臣秀吉にかわいがられていた前田利家。短気で派手な立ち回りをする傾奇者だったといわれた利家。話はそれますが同じようにかぶき者だった、原哲夫さんの漫画『花の慶次』で知らない人はいない前田慶次郎。前田利家の孫にあたります。
利家公は身長6尺/約182cmもありました。体格に恵まれ槍の名手で、戦場で信長大将の命令を伝える「母衣衆/ほろしゅう」↑として戦闘の最前線で活躍します。一本気で裏表のない誠実な性格であった利家は、信長に大そう気に入られます。
落ちぶれたとき、変わらず支えてくれる人こそ大事に
ただ織田信長の側近の男の子が、嘘噂で事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして信長に吹き込む少年を斬り殺したため、信長の逆鱗に触れてしまいます。信長の怒りは凄まじく、これをきっかけに浪人に落ちぶれ、食べるものにも困窮してしまいます。
ただ信長の合戦には、おのれの命など顧みず勝手に参加して、相手を負かしてしまいます。確固たる信念を持つ利家に、信長の方が折れて、自分が悪かったと謝罪します。
「人の不幸を喜ぶもの、様子を見にきてあれこれ言いふらすもの、さらに傷つけようとするもの、本当に支えてくれるもの――。落ちぶれたときにこそ、変わらず支えてくれる人こそ大事にするべきだ」と悟ったと前田利家は言います。
リーダーとしての器の大きさ
当時は各大名家で設けられていたお互いの仕事ぶりを監視する「横目」がありました。検閲とかスパイの告げ口です。しかし、前田利家はこれが嫌いで、加賀藩には横目はありませんでした。疑心暗鬼になるよりも、お互いに信じ合うほうがかえって悪いことをしない、お家・加賀藩のためになると。
力が正義だからという西洋的な考え方では、力の弱いものは奴隷にしたら良いとなる。それをなぜ日本の武士のトップたちはしなかったのか。それを考えれば日本と他国の違いが分かります。外様大名でありながら、徳川家からは一目置かれた前田利家公の力量。それを認めるこの国のあり方、どこかの今の政治家に爪の垢でも飲んでもらいたいものです。
戦闘も西洋人にとってはビジネスです。それにより奴隷やお宝を略奪する。だから大英博物館には日本の釣鐘、エジプトの神の石柱や黄金の棺、負けた国々の絵画美術品を平気で展示できるのです。こんなみせしめのような無礼な事をすると祟りがあると古来から日本では言われてきました。江戸時代、商売・ビジネスがなぜ武士よりしたと観られたのか。
平敦盛の首を取った。天皇から賜った青葉の笛がお宝として残った。それを源氏側は自分たちのものとしましたか? 源氏の陣をはっていた須磨寺に奉納したのです。首を取った熊谷直実は、自分の息子くらいの歳の武将を討ったことで出家して、菩提を弔った。これが日本のあり方です。
前田家の当主の利長は、自らの生母を徳川家へ人質に
その代わりに、徳川秀忠の娘、珠姫を前田家の嗣子である前田利常に輿入れすることで、縁を固めます。外様大名最大の領地、加賀・越中・能登の三国内での表高119万2760石が確定します。この石高は外様大名としては最大のもので「加賀百万石」が誕生したのです。
これには日本海側は今もそうですが隣の国からいつ攻めて来られるかもわからない。だから武芸に長けている前田家を豊かにして、日本を護らせた徳川家の戦略です。
意外と最近できた尾山神社
尾山神社が創建されたのは明治時代の初めの1873年。もともと2代藩主の前田利長が利家を神としてあがめる神社を建設しようとしたのですが、当時の徳川幕府の権力を恐れて、公然と実行することはできませんでした。時代は移って、廃藩置県後、旧加賀藩士たちが力を合わせ、ついに完成したのが尾山神社です。
尾山神社が建立される前は、加賀藩の金谷御殿がありました。今は道路に変身していますがいもり堀を挟んで玉泉院丸と接していました。今でも尾山神社裏から道路の上を橋で渡れます。
尾山神社は明治に入ってから建設されたこともあり、境内のところどころに西洋風の雰囲気を感じさせる場所があります。その1つが本殿の周囲にめぐらされているレンガ造りの玉垣があります。結界の玉垣は、一般的に木や石で作られるものなのですが、尾山神社は幕末に日本にもたらされた素材である赤レンガが使われています。
家紋である加賀梅鉢の紋様が組み合わされています↑。おしゃれなんです、みなさん驚かれるともいますが、拝殿の前にある総ガラス張りの社務所も素敵です。ご朱印も素敵なデザインでした。
ステンドグラスがある神社
尾山神社には珍しいかなり派手なつくりとなっています。神門目指し階段を上がると見える塔。そこにはめ込められたステンドグラス。キリスト教の教会のシンボルみたいな感覚があるのです。でも別にステンドグラスはキリスト教のためだけのものではないですよね。高さは約18メートルで、さらにその上に8メートルの避雷針がついているのも面白いところ。ちなみに、この避雷針は日本で最古のものと言われています。
神門をくぐり右手に進むと見えてくるのが尾山神社の庭園にあたる神苑/しんえん。別名、「楽器の庭」と呼ばれる池泉廻遊式庭園。の庭が楽器の庭と呼ばれるのは、「鳳笙島」「琵琶島」「鳥兜島」「琴橋」というように、池に浮かぶ島や橋などに、雅楽にちなんだ名前がつけられているからです。ちなみに鳳笙と琵琶は楽器、鳥兜とは頭にかぶるものです。
尾山神社
住所:石川県金沢市尾山町11-1
電話番号:076-231-7210
営業時間:境内見学、参拝は24時間可能、お祓い時間9:30〜15:30、授与所・御朱印受付時間9:00~17:00 前田利家公と正室であるお松の方を主祭神としておまつりしています。武将のご祭さい神ですから「文武両道」「必勝」のご利益があると言われています。