衝撃を受けた金沢城
私の友人が金沢大学に入学したので、大学生の頃初めて金沢を訪れた。その時はまだ金沢城の中にキンダイがあり、そのことにまず驚いた。キンダイが金沢大学なんも驚いた。関西人は知らんけんど、、😄
なんとお城がキャンパス、すごいじゃんと、当時は東西一の国立大学キャンパスと言われていました。いやぁ北大の方がとか岡大がという人いますが、広いだけです😆 金沢城は明治以降、第二次世界大戦の終戦を迎えるまでは陸軍第九師団司令部が設置され、陸軍の拠点として使用されました。大阪城、広島城、仙台城もそうですが、軍の拠点として戦争中は使われるのは理解できます。ただそのために今残っていれば世界遺産のお城が空襲で焼けてしまうのですが。
世界遺産である日本のお城ですが、それを爆撃により破壊する行為は果たして許されるのか? そんな議論がそのうちおこなわれるんでしょうね。他国を武力で征服して、そこの民族を根絶やしにするとか、奴隷にしてしまおうという行為を戦争と呼ぶのかと。
世界遺産を破壊する行為は正義か
日本には数多くのお城がありました。しかし、創建当時から増改築されたまんまの姿で残っているお城は少ない。それはアメリカ軍が焼き払ったからです。なぜお城跡に行っても、アメリカ軍による無差別殺人ジェノサイドによってお城は焼き払われましたと書いていないのか。「日本民族は根絶やしにしなければならない」というレイヤー思想の元に行われたオレンジ計画。日清戦争も日本対清国ではなく、バックにいたのがアメリカですから。
先の大東亜戦争より前から国宝とされていたお城が日本には数多くありました。首里城、広島城、福山城、岡山城、和歌山城、名古屋城、大垣城、水戸城、松前城。しかし、これらの名城はアメリカ軍によりことごとく焼き払われます。今現在残っていれば、国宝姫路城と同じように日本だけでなく世界にとって重要な遺産だったでしょう。世界遺産である姫路城もアメリカ軍による攻撃にあっています。運良く播州地域の人が守ったがために、残っているだけです。これ日本が他国に悪いことをした? から国宝を焼き払われたわけじゃぁない。単なる相手国の宝を破壊する犯罪行為です。
その国の宝は、その民族の心のよりどころですよね。だから破壊して良いのだ、という考え方も一部ではあるようですが、私たち日本民族はそうは決して考えないですね。お城にはその建物の価値だけでなく、歴史的資料、美術工芸品などのお宝もあった、それ空爆によって消失してしまった。
お城の存在とは
戦後は城内に国立金沢大学が置かれ、平成7/1995年まで「丸の内」キャンパスとして利用されました。その金沢大学があったところが整備もされ、そして2001年より、復元整備事業が進められている「金沢城公園」が今の金沢城の姿です。
今、空襲で焼き払われたお城天守閣を復興させようとする動きなどが各地であります。名古屋城など良い例です。未来の世界遺産を今から創る。今の建築技術で新たな世界遺産を生み出す、それを観たいと人々が集まる。ワクワクします。
令和6年になった途端に起こった能登地震の影響はどうなんだろう? と訪れてみて驚きました。数十年前にキャンパスを訪れた時とは様がわりしていたことに。確かに石垣の一部が崩れ落ちているのですが、崩れたところはあるけれど、またすぐに石組みされて綺麗な姿に戻るだろうなぁと。
地震ではなく今でも整備をされている状態の金沢城を回っていてみて、あぁ震災の影響も少なくて良かったなぁと。私が友人に案内された金沢大学はもうそこには跡形もなくて少し残念でしたが、あまりにもお城が綺麗に整備されているので驚きました。
初めて訪れた時の金沢城のイメージは、日本海側の曇りのイメージからか、なんだかどんよりとした感覚でした。侘び寂びのさびの感じで、晴れの感じがあったのが金沢城のお隣にある兼六園でした。そして友人に、赤い壁で塗られた色街にも連れて行ってもらった記憶があるのですが今回の旅では訪れることができず残念。
金沢を初めて訪れた時の一番の衝撃を書いて終わりにします。それは金沢大学生協の食堂で掲示されていたポスターです。「あなたもこんな姿にならないように」とお城の隠し井戸に落ちて亡くなったヘルメットを被った学生の姿が、学生運動のセクト争いなのか、なんだったのか、、まぁ今の時代ならまずありえないポスターです。
金沢城公園〒920-0937 石川県金沢市丸の内1−1 開門/8時00分~17時00分