節分はここからはじまった京都壬生寺
平安時代後期に白河天皇の発願によって、律宗の大本山・壬生寺で行われた節分厄除大法会が節分のはじまりです。その後厄除の行事として、各お寺さんで行われるようになった。仏教のお寺では鬼わぁ外とは言わないんですよ、それは鬼というのは人の心の中にある煩悩、私たちの欲の心のこと。神社での鬼やらいは「追儺」、これは新年に行われることが多いようです、この日本文化はあまり東日本ではみられず東京発信の今の世の中では知られいてません。
心身を惑わせて心身を蝕むのが鬼という考えが仏教でのとらえかたです。普段の仕事着のことを「けぎ」と明治時代までは呼んでいました。そして節分などの儀礼や祭りの「ハレの行事」の時に着る服を「晴れ着」と呼んだのです。晴れ着によってケガレを払うという考え方ですね。
非日常の時間が日本には古くから伝わっているのです。それを大切にしていない人は、汚れが多くなり、運も好転しないんですね。非日常のお祭りを楽しむ心、それによって幸せな気分になるわけです。それが日本でいうところの「シアワセ」なんですね。
ではなぜ豆まきを節分会でするの? それは「魔を滅する」「鬼滅」という意味合いで、魔目・まめなんですね。鬼の目に豆を投げて、魔を滅するという意味。邪気ばらいをして一年どうか無病息災でありますようにと。日本語の音とはホントに素晴らしい感覚。
邪気を寄せ付けない大切な節分の作法
福豆を用意する。
豆まきは夜に行う
豆をまくのは一家の主人
福はうちと言って豆をまく
最後に数え歳の数の豆を食べること
壬生寺といえば新撰組
「加茂の河原に 千鳥が騒ぐ またも血の雨 なみだ雨
武士という名に 命をかけて 新撰組は今日もゆく」と言われた新撰組の駐屯地は壬生町にあり、壬生寺は新撰組の武士たちの修練場として使われていたそうです。
壬生寺境内にある池の中之島には壬生塚と呼ばれる新撰組志士たちのお墓があります。新撰組局長・近藤勇、暗殺された隊士・芹沢鴨と平山五郎、勘定方・河合耆三郎、奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門の墓の他、隊士7名の合祀墓があります。
ここ壬生寺には、新撰組一番隊・沖田総司が境内で子供達を集めて遊んだり、 近藤勇をはじめ隊士が壬生狂言を観賞したと言われています。また新撰組が相撲興行を壬生寺で催し、お寺の放生池の魚やすっぼんを採って料理して力士に振る舞ったという、面白い逸話もあります。
鑑真和上ゆかりの律宗・壬生寺
正暦二年/991年に創建された、延命地蔵菩薩をはじめ多数の地蔵菩薩を祀っている、古来から地蔵信仰と厄除開運のお寺さんと京都では言われています。厄除節分会は900年もの歴史を持つ行事です。
境内は塔頭の中院や壬生狂言の舞台でもある大念仏堂、千体もの石仏を安置した千体仏塔など八棟のお堂があります。
壬生塚と壬生寺歴史資料室
公開時間/午前9時~午後4時
参拝・拝観料/大人300円
壬生寺〒604-8821 京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町31
アクセス/阪急「四条大宮駅」からぶらぶら歩いて10分