大仏さんとは
巨大な仏像を大仏さんと言います。日本で三大仏の一つとも言われているのが兵庫大仏です。仏教発祥のインドでは、紀元1世紀ごろから仏像が造られます。ただ10mを超えるような巨大な大仏が建立された例はほとんどなく、中央アジアや、中国で巨大仏が造られはじめます。天然の岩壁を彫刻した磨崖仏も多く造られています。日本でも大分の磨崖仏は有名です。
日本では奈良時代、天平15/743年に聖武天皇が「大仏建立の詔」を出されます。世界で当時銅の高度な製錬技術を持っていた国はなんと日本だったのです。当時、山口県美祢市にある長登銅山からヒ素が多く含まれている銅が産出していた。良質な銅が出来たので、奈良の巨大な大仏さんが誕生した。
兵庫大仏さん
明治24/1891年に建立されたのが兵庫の大仏さん。しかし大東亜戦争で金属回収令が出て、解体されて国に供出されます。今の大仏さんは平成3/1991年に再建されたもので、解体されて残っていた金属片も混入して造られています。像重量約60t、像高11m、蓮台と台座を含めると高さ18mにもなる巨大な毘廬舎那仏像です。
18mと聴くと、ピンとくるのが神戸っこで、すぐお隣の長田区に阪神淡路大震災で沈んだ神戸っこを元気づけるために建てられた「鉄人28号」と身長がおんなじなのです。
兵庫大仏がある能福寺さんは、最澄が延暦24/805年に、日本最初の密教教化霊場として創建したと伝えられる古刹で、平清盛によって兵庫港が開かれた時に平家一門の祈願寺に定められます。今では現存しませんが、大伽藍が建設されて、栄えていたと記録されています。
平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟
古文書では平清盛公の骨は福原の地に持ち帰られたとの記述が多いのも事実です。「京、愛宕山にて火葬荼毘に付して福原に持ち来理、経ケ島に納め、、」「大輪田の法華堂に納め、、」「能福寺の東北に埋骨、、」云々とあり、兵庫の地を愛した清盛公の遺言に依り、和田岬近辺に埋葬されたことは間違い無いでしょう。
海に囲まれた日本が海外と対等に生きていくためには港が必要だと千年前に考えて、兵庫の津を整備したのが平清盛公。そのおかげで、世界に名だたる湊・神戸港があるわけで。
養和元/1181年にここ能福寺の寺領内にあった太平山八棟寺に公の墓所・平相國廟が造立されたと記録されています。しかし平家滅亡と共に、ことごとく時の権力者により破壊されて、以後再建されることもなく、その存在すら消し去ろうとしていました。今の時代も平清盛公が良い印象を持って語られているとは思えないのですが。
情報を操作する権力者によって、世の中の見立てというものはちがってくるのですね。
しかし鎌倉時代後期、時の執権・北条貞時公が消されていく清盛公の存在に憤りを感じて、墓の石塔を建て清盛公の霊を弔ったと能福寺の古文書では語られています。それが清盛塚十三重の塔↖︎だと言われています。清盛塚は能福寺から歩いて10分程度のところにあります。
明治維新神戸事件
「きのう見し 夢は今さら ひきかえて 神戸の浦に 名をや あげなむ」と辞世の句を読み外国人の前で切腹をさせられたのが瀧善三郎。神戸港が外国へ開かれて間もない頃に、大名行列の前をフランス水兵が横切り、それを怒った武士が槍で突ついて怪我をさせてしまった。ただそれだけのことだけれど。
日本では「郷に入れば郷に従え」という言葉がありますが、それが外国人には通用しない。どちらが悪いのか? 武士行列の前を不見識にも横切った者が、手打ちにされてもおかしくないと当時の日本人なら思ったけれど、外交問題になり穏便にという日本的なけとうに気分を害されないようにひざまづいてしまったという話。「そちらのおフランスが悪いんでは」と言えなかった。それで切腹させられて能福寺に祀られています。手を合わせたい気分にしかなりませんね、弱腰外交という言葉はこのころからなんですね。
珍しい英文碑
初めて乗った船が遭難し漂流、アメリカ商船オークランド号に発見され救助され、そしてアメリカへ渡ったジョン万次郎。アメリカで洗礼を受けてジョセフ・ヒコになりアメリカ国籍も取得した浜田彦造。「郷に入れば郷に従え」で助けられた4人の漁師仲間の中で最も早く米語を身につけてなんとリンカーン大統領にも謁見した日本人。
のちにアメリカから使節団とともにやってきて通訳として日本で活躍。ただキリスト教らしい考え方で、ある時はアメリカ人に、そしてある時は日本人、だって生まれたのは土佐の高知だからと。この使い分けが、本来の日本人には理解はされず。まぁそうだろうとは、だってアメリカ国籍という時はアメリカの有利になるように働くんだろうと、金のためには嘘もつくのではないか? と日本人なら考える。
そんなジョセフヒコが訳した米語で書かれた珍しい石碑があるのだが、意外と知られていないのも事実。石碑に横文字が書いてあること自体、とても珍しいものです。神戸港のマスコットと呼ばれていた兵庫大仏を一目見たいと訪れる外国人船員さんたちのために、英語で書かれた珍しい石碑なのですが、今ではあまり見向きもされないのが少し悲しいのですが。また外国人観光客のかたにもあまり今は知られていないようです。
本堂・月輪影殿
京都東山の歴代皇族の墓陵「月輪御陵」にあった建物を、昭和28/1953年に移築したのがご本堂。大正天皇のお妃・貞明皇后様のお里方である九條公爵家の拝殿で、明治、大正、昭和の歴代天皇陛下が京都に行幸された際には必ずご参拝された由緒ある歴史建造物です。
宝積山 能福寺〒652-0837 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1−39
開門時間/10時00分~16時00分 無料
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