原爆の事実を知ること
「そんな時代もあったわね、平和教育というもの」と片付けられるのは、ちーと片腹痛いけれど。まんまとアメリカンな文化に毒されて今では修学旅行といえば「デズニ」でしょ。でもねぇ民族を根絶やしにするために、戦争に名を借りた虐殺をするのがアングロサクソンです。戦争とGenocideは違いますからね。それを日本からアメリカに言い続けるべきですね。
コレッテェ「アメリカは一般市民を虐殺しても何ら罪はないのだ」と、だから修学旅行で広島長崎には行くなと、そう洗脳されてるわけですよね。負けた黄色人種のアジア人は白人西洋人に楯突くな、これが根ですよね。
あのう今の時代も民間人をミサイルや爆弾で殺すのは戦争時でも犯罪ですからね、でもそれを律するのが国連ですから、輩連中にヤカラはさばけませんわ。世の中へんなんです、それが大人の事情というやつです。
アメリカ漫画よりも日本のマンガの方が面白いのにねぇ。勧善懲悪の世界観がアメリカン漫画ですよね。それも黄門さまよりスカッとしない勧善懲悪だし。悪い奴は、とことん悪い。悪とアメリカが決めたら、その民族に対して何をしても良い。なぜ『鬼滅の刃』の悪方にも感情移入するのか? それは表と裏は『表裏一体』と日本語ではいうからですよね。それが英語には無い。国際連合なり連盟なりが戦争を止めて、世界の祈り世界平和に少しでも近づいたことはありますか? 常任理事国なんて、戦争仕掛けて勝ったヤカラじゃないですか、戦争して儲かるからでしょ、彼らが。
それってぇ、、単純思考にならないためにも、平和記念館に修学旅行で行ったことのない方には長崎観光でここも是非行ってください。長崎原爆資料館は平成18/2006年7月5日、わが国の戦後建築物としては初めて、国の重要文化財に指定されました。 この建物は、丹下健三さんが設計し、国際的に高い評価を受けた最初の戦後建築であり、同氏の出発点となった作品です。
平和公園から南へ原子爆弾投下中心地、その横
平和祈念の像は映像で観たことがない日本人はいないくらい有名な像ですよね。島原生まれの彫刻家・北村西望さんの素晴らしい作品。
広島なら原爆ドームがイメージアイコンになるのに、長崎では原爆の被害を受けて残っている建物よりも平和祈念の像がイメージアイコン。広島原爆のアイコンが原爆ドームであるように。ただなぜカトリック教会がアイコンには成らなかったのか、それを考えてみればよいですよね。
爆心地よりも北東500mのところに位置してた東洋一と呼ばれたカトリック教会・浦上天主堂は爆弾によりほとんどが倒壊、焼失。その壁を復元したものがここ。爆心地公園には被曝当時の姿のまま移設されています。
川を挟んでその横にあるのが国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館と原爆資料館
原爆資料館は、アジア人なら一度は行くべきところだと思います。なぜリーダーたちは自分は安全なところにいて、人をころすんだろうかと、それを考えるだけで一段上の人間になれますよね。世の中には表と裏があります、自国民を他国の利益のために売るリーダーも実存します、今の世の中でも紛争地域を見てれば裏がなんだろうと。同じ民族同士が戦い、殺し合いするのが21世紀ですから。日本ではそんなこと江戸時代前に終わってますから。
そういうことを中学高校生時代に知るべきだと思いますよ。世の中、今だけ金だけ自分さえよければ良い、他人なんてどうでも良い、ましてや友人なんてという人間もいますから。ホントにあなたを思ってくれているのは親、親族、兄弟だけですからね。
原爆死没者追悼平和祈念館には原爆死没者名簿の安置、被爆関連資料・情報の収集および発信などをされています。ここでは原爆で無念の死をとげなければならなかった方々へ、アジア人なら手を合わせましょう。もうこれ以上、白人の手による植民地化や奴隷扱いをアジア人が成ってはなるものか、そう思って大東亜戦争は行われたのです。
白人に寝返ったアジア人がいたから、今の共産主義がはびこっているのです。そんな共産主義国と日本を無差別殺人したアメリカという国家の狭間の日本を憂うのがホントの日本人です。
長崎原爆資料館〒852-8117 長崎県長崎市平野町7−8開館/8時30分~17時30分/夏場は18時半