海洋国家日本、その礎を築いたのが小菅修船場跡
今では日本の造船技術は世界に誇れるもの。その原点がここ小菅修船場跡。幕末の明治元/1869年に、薩摩藩と英国商人トーマスグラバーらが日本最初の船体回りの補習施設を小菅に造りました。今では国指定の史跡で産業革命遺産として保存されています。ここ小菅修船場には明治天皇も行幸されています。
山裾のドックにはぴったりな急斜面の入江、なんだか日本のドックといえばこういう光景だよなぁと。こうした立地条件と山が迫った入江での土木工事は日本人の主導によるものと言われています。蒸気機関を動力としたスリップドックの施設全ては英国から輸入されたものです。よく西洋映画などで大人数の奴隷を使って船をおかへ曳き揚げるシーン観たりしますが、あれ観るたびに西洋文化はやはり【奴隷文化】なんだと感じてしまうのは私だけでしょうか。
明治という時代に【おやとい外国人】が活躍した
明治維新はみなさんお好きですねぇ。ただこれにはウラがあったりしますが、、2千年以上続く日本文化や文明をつぶして、文明開化をしようとした時代、活躍したのがヨーロッパ各国の技術者たち。名もない人も多かったでしょう、日本のために自分たちの技術を惜しみなく出し貢献した人たち。こうした方の墓地が実は日本にあったりもします。
日本は優れた国で、まず海外の技術を学ぼうと学校を作った。工業専門学校とか工業高校とか、他国にはありませんからね。しかし、そこで学んだ人たちが活躍するまでには時間がかかる。その間をつなぐために、幕府や各藩、そして明治政府は外国の専門家の力を借りることにしたのです。
今のネットの風潮では【おやとい外国人】は差別用語だとか、彼らが日本の富を盗んだとか言われたりもしますが、それは間違いでしょう。魔女狩り、言葉狩りは、奴隷制度の社会の文化ですからね。
日本近代技術の生き証人がここ
世界で今トップクラスの造船技術はどこか? といえば。これには兵器技術も含まれますから、一概には言えないでしょうが、ソナーにも映らない静かな潜水艦を造れる技術は日本でしかありえないでしょう。
造船所は入り江の奥、波が穏やかなところに作られます。同じように港もそうですね。日本の港町といえば、横浜、神戸、長崎が普通出てきますよね。今では荷役取扱量で言えば名古屋が世界一ですが。いずれも湾の中にある、自然の恵みで生まれたみなとですね。
そうした港町には造船所がある。長崎の街の風景にも成っている造船所。そのはじまりを観てみる旅も良いのでは。
長崎の市街地からバスに揺られて郊外へ
そろばんドックと親しまれていた小菅修船場跡はみなさんが観光する長崎市街地から、南へ少しだけ離れたところに位置します。そろばんの形をしたドック部分は現存しません。市街から離れてこの先には香焼の大きな造船所があります。幕末期に日本では船体を補修修繕する施設が存在しなかった。そのために薩摩藩と英国商人トーマス・グラバーらが、明治元/1869年1月に造ったのが、ここ小菅/こすげ修船場。
蒸気機関の動力を使ったスリップドックと言われています。ドックとは船を丘に曳き揚げて修理する場所のことです。蒸気機関、曳き揚げの機械、レールやチェーンなどの設備はグラバーが英国から輸入したものです。
曳き揚げのためのレールがついた船架がソロバンみたいだったので「ソロバンドック」と呼ばれました。今では国指定の史跡として登録されている小菅修船場。現存する日本最古のレンガ造りの建物である曳き揚げ小屋や、機械、レールなど全てが明治時代の原型をとどめています。
小菅修船場跡 長崎県長崎市小菅町5
アクセス情報 | JR長崎駅前から長崎バス(野母半島方面〔戸町経由〕乗車)利用15分、小菅町下車、徒歩5分 |
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