平清盛公が創建したお社・若一/にゃくいち神社
教科書で学んでいるとどうしても、悪人のように思ってしまう平清盛公。私はご先祖さまが平家の末裔だと親から聴かされていたので、ご先祖さまをバカにしているかのような教科書は大嫌いで、学校にも一時期行かなかったことがあります。
最近、友人との会話で「私は中国本土にいる時に、日本と共産党軍は戦争して、中国民族は日本にひどい目にあわされたと学校で教わったが、日本に来て大ウソだと知ったね」と。反日感情を植え付けるために、教科書に第二次世界大戦で戦ってもいないのに中国共産党軍が日本をやっつけたように書いている。
日本が戦ったのはアメリカ自由主義の蒋介石軍であって、漁夫の利で共産党は中国大陸を手にいれた。ホント共産主義や社会主義のロシアやそれらの国はずるいよねぇと。どこの国でも教科書に書いてることは半分以上はウソだとその友と笑ったんだよね。
誰にとって、どのリーダーに都合が良い教科書なのか。教科書に書いてあることは、いまのマスコミが伝えるまやかしの情報だと思えば、あぁ人を操作して間違った考え方にする方法なんだと。どこかの回し者の情報を信じてはダメ。戦いでトクをするのは誰か、それを知れば、ウソがわかる。戦争するお金がどこから出ているか、それによって誰が儲けるのか。誰が国を失い、その民が路頭に迷うのか。
現場に行ってみて、自分の頭で考えてみる
じゃぁ間違った方向へ導かれないためにどうしたらいいの? 教科書に書いてあることも全てが嘘ではなくて半分くらいはホントのことも書いてあるが。社会の歴史なら、京都に行けがありがたいことに実物がそのまんま残ってある。これは第二次世界大戦で大量民間人大虐殺の空襲が京都には無く、街を焼かれなかったから。アメリカはお宝がありそうな場所は焼き捨てなかった。大国のすることは、彼らの考えでは女性、子どもが焼かれようが知ったことではないと、権力を持つヤカラはいつの時代も同じ。それは西洋の美術博物館に行けば、良く解ります。人から強奪したものが展示されているのですから。
「まさか、そんなことまでしない」と言うのは日本人的な考え方だよね。でも昭和20/1945年8月15日にポツダム宣言受諾によりホコを納めているのに17日に北海道へ攻めてきたロスケなんてサイテー、やっぱりそう言う民族なんだなぁと。日本の女性子どもを平気で殺すのはロシア人の普通の考え方なんだと、ウクライナを観てると確信が持てるよね。不可侵条約なんて関係ない、相手が弱っている時に約束した友人であろうが身ぐるみ剥がそうが当たり前がロシア民族なんだから、そのように対応しなければ日本もおんなじ事をまたやられると。それが奴隷制度がありレイヤー主義のキリスト教を信じる人たちの考えなのかもしれないけれど。
私のおじさんはロシアに捕らわれの身になりシベリア送りに。シベリア鉄道敷設などの過酷な現場で重労働で死んだ日本兵から金歯や時計など金品となるものを剥奪するロシア兵を見て、こいつらここまでするのかと。鬼畜である。日本で地震が起こっても略奪がないのが当たり前ですが、他の国ではそうではない現実。こういう人も居るからだろう、だから宗教で縛らなければならない。日本では宗教がないと海外では言われますが、受動的で強制的なキリスト教徒と比べて日本では能動的にお日様に顔向けできないとか自然の力には歯向かえないと分かって自然を拝んでいる。
お山があるから水が湧き、そして川ができ肥沃な大地を作り、そして食べるものが授かる。それに対して手を合わせて「ありがとう」と。これは他から強要されるものではない。
令和4/2022年3月の世界戦時下はウクライナだけでなく、ロシア艦隊が津軽海峡を平気で航行している事実。これは何を意味するのか? 北海道はロシアのものと言っているのも同じ。 北朝鮮がミサイルを撃ちあげるのも、核で威嚇しておけばアメリカだって手出しはしない、だから日本に撃ち込んでやろうという考え方。
ウクライナへテロをしかけたロシアは核を持って居る、だからアメリカは正面切って対峙は決してしない、核戦争が恐ろしい結果を招くから。じゃぁ核攻撃にさらされて居る日本はどうすれば良いのか? を今議論すべきでしょう。中国軍は日本の主要都市に向けて核ミサイル配備をしているわけだから。こんな国々に隣国の友情なんてありえないです。
手を上げて降伏している人に、武器を突きつけて身ぐるみはがしても平気、そう言う考えの人も世界にはいる。人の命や尊厳なんてへとも思っていない。アメリカ、フランス、英国、中国、ロシアがパーマネント5だとか国連常任理事国なんて偉そうに国連を動かし、世界を思いのままに動かしている気になっているなんて笑ってしまう。
平清盛公は次の政権では邪魔だったから悪者に
平安時代、京都六波羅が当時のまつりごとをたまわる武士の住まいであった、そこに平清盛公の住まいもあった。ここ若一神社の地は泉が湧き浅水の森と言われて美しい場所だったそうで、清盛公はここに別宅を建てることに。ただしその後すぐに首都を京都から神戸へ遷都したために、清盛公自身は長い期間は京都西八条殿のお屋敷に住んではいなく、妻・時子が暮らしていたと。
外国と交易する事で日本を豊かな国にしようと神戸港を造るために清盛公は現地神戸に出向いた。これがまつりごとをする人の行動力ですよね。そして天皇がおられる場所と政治の場所を別にしようとしたはじまり。私は社会の和気先生からそう教えていただいた。その後の戦国から江戸時代をみれば、その理由がよくわかりますよね。
一千年以上前から日本での「戦」は、兵士と兵士がするもので勝った方がその領土の農民や民を奴隷にする国ではなかった。民は天皇の親戚であり、奪う対象ではないと言う考え方、だから日本には奴隷制度はなかった。奴隷制度を持ち込んだキリスト教宣教師を腹の底で嫌った。豊臣秀吉は、スペイン宣教師が島原地方の女性や子どもを奴隷にして売る悪行をみて、当時の世界の覇者・スペインにまで宣戦布告したのだから凄い。
若一王子/にゃくいちおうじとは?
紀州熊野大社に祭られる神さまを若一王子と言います。古くから日本では熊野信仰が盛んで、平清盛公も22回も熊野へとおまいりに行かれています。仁安元/1166年8月に熊野詣での際に、夢で『京都西八条の屋敷の土に若一王子の御神体が埋もれている』と。帰京後に清盛公が庭を掘ってみると、御神体が。そこでオヤシロを造り鎮守したのがこの若一神社。
この若一神社を造った翌年、仁安2/1167年に清盛公は太政大臣に任命されます。それ故に開運出世の神さまと地域の人たちに崇拝されているのです。神社としてはそれほど大きな敷地を持つ神社ではありませんが、まず驚くのが現在の道路さえもそこだけ迂回している楠の巨木。ご神木であるこの木は、平清盛公が太政大臣に任命されたことを感謝して手植えしたものと伝えられていて、何かの折にはこの木の枝に童子が座っていると。
座敷わらしが住むと言う楠のたいぼく
昭和の初め、京都市電を走らせる工事のためにこのご神木を動かそうとしたところ、工事関係者が恐れおののくような事が起こり、やむなく断念したと言う記録も残されています。確かにこの大木の周辺には何かしらパワーが感じられるのです。
若一神社に夏に訪れた際に驚いたのはやたらと蚊が多くて刺されてしまい、痒くて。「踊ってる。おっちゃんかいいぃのぉ」と子どもに声をかけられてしまい、笑っいました。そうしたら痒くなくなったんですよねぇ。その子も座敷わらしの一人なのかもと。
訪れられるとまず気がつくのは水の気配がやたらとすること。夏でもみずみずしくて涼しい気が漂っている。境内にはいつも水を絶やさない、御神水が水道蛇口から汲むことができます。ペットボトルに入れて持ち帰り、この水でコーヒーをいれると美味しいんです。開運出世水として、新生児誕生の産湯につかうと良いとも言われています。
京都の観光のメインストリートからは外れた場所にあるために、若一さんを訪れる時に一緒に観るとなると? JR西大路駅の北に位置する若一神社なので、東に梅小路機関区があり京都鉄道博物館がお子さんと行くには最高の観光スポット。歩いて20分程度。
若一神社 〒600-8863 京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
参拝は24時間できます。