「国が始まって以来、主君と臣下は定まっている」
病がちな和気広虫の宇佐への使者代役になった弟の和気清麻呂公が告げた神託がこれ。道鏡を次の天皇にと考えていた称徳天皇。道鏡❌結果に大いに失望した女帝は、和気清麻呂の官位を剥奪し大隅/鹿児島へ、和気広虫も備後/広島に流刑にしたのです。
一介の僧が国家を乗っ取ろうとした結果、周りの人たちは迷惑を被ったわけですが。こんな話を教えてくれた先生のお名前が和気先生だったのも不思議ですが。
善、悪いはのちにわかる
あまり先生という類は好きになれない私は、まぁ共産独裁イエドロギーの強い環境の土地柄で教えられていたせいで、とほほ。それが悪かったんだと今ではおもってます。そんな中でも和気先生のような素敵な先生もいらっしゃいました。
日本は母系社会で、女の人の方が優位な立場にあると教えてくれたのも和気先生。こんな歴史の事件のことからです。結婚できない女性天皇であった孝謙天皇が、自分自身が天皇に成り代りたいと考えていた道教僧侶に肩入れしていきます。ちなみに女系天皇というのは、道鏡事件のような他国民族が国を乗っ取る行為ができるようにするシステムです、だから共産党も賛成なんだなぁ。
この時、女性は天皇家に嫁げば宮家に入れるが、男性は天皇家に生まれてこない限りだめだと。アマテラスの神さまも女性であるように、日本の国では女性が優位な立場であると。
天皇家に入れば権力を思うがままに当時はできた。今の時代はこの後に起こる武家社会から権力は武家側に移りますから違いますが。
民と天皇は同格、だから権力者は民を奴隷にはしない。織田信長が勝っても、負けた側の武田家の農民は普通に暮らしていける社会。つまり織田家の領地の農民も武田家の農民も同じ、領主ではなく天皇の民という考え方。しかし、日本以外の国は権力者が民を支配、奴隷にすると言う構図。つまり支配層と奴隷層のレイヤー関係。
「道鏡を天皇にすべし」とする宇佐八幡の神託が届く
孝徳天皇は上皇になり、その後また称徳天皇として権力の座へ。その時に副天皇となったのが道鏡。皇族しか継げなかった聖域に天平神護2/766年法王としてついたのです。
当時自然災害や病気で疲弊していたところに降って湧いた話がこれ。人の弱みにつけこむという類は、いつの時代にも起こりますね。「宇佐八幡の大神が道鏡を天皇にすれば天下は治まると告げられた」というご神託。
ついに道鏡が次の天皇に、と。ただそのご神託を持って来た大宰府の長官の弓削浄人は、道鏡の弟。このあたり仕組んだのであれば、アホですね。疑われるのミエミエ。
強気の道鏡は「宇佐へ使者を遣わされては」と天皇に提案。そこで白羽の矢がたったのが和気広虫、女官。30年近く女帝に仕える広虫は仏への信仰があつく、災害や戦いで親を亡くした子どもを自宅に預かっているほど人徳あるお人柄。ただお身体が弱く病弱だったために、弟である和気清麻呂公が宇佐八幡宮へと。
忘己利他の和気清麻呂+広虫を祀っているのが岡山和氣神社
狛犬ならぬこまいのししがいるのが珍しい。なんで狛亥かというと、大隅国へ流される時に、お礼のために宇佐八幡宮へお参りしようと大分の海岸から進む途中、どこからともなく約三百頭の猪が突然現われて、清麻呂公の御輿の前後を守りながら八幡宮までの約十里の道を無事にご案内した『日本後紀』巻八。以来、猪は清麻呂公の随身、また足腰の守護として崇められていると。
ある人の元気を願ってお参りに先日訪れたのですが、連れて行ってくれたのが友人の藤原くんで、学生時代のあだ名はマロ。この和気神社の横には美しい藤棚があり「藤原の家紋じゃん」と言ってました。藤原氏も道鏡にわやにされた一族ですね。
和気神社 〒709-0412 岡山県和気郡和気町藤野