江の島岩屋にある稚児ヶ淵
江の島岩屋にある稚児ヶ淵は相模湾の波が打ち寄せる場所。元々は海水に隠れた千畳敷で、大正12/1923年関東大震災で隆起して陸地になった場所。震災前までは江の島の岩屋は1年のうち、海水面の低い限られた期間しか行くことができない場所だったとか。それでも弘法大師や日蓮上人が修行したといわれる場所で、源頼朝も岩屋を訪れています。
海しょく台地の岩を波が洗う景観は素晴らしくて、またここから天気の良い日は富士山の眺めも素晴らしいものです。岩屋へと続く道はコンクリートの遊歩道ですが、この遊歩道も平成29/2017年の台風21号による津波で大破しました。平成30/2018年4月28日まで岩屋は閉鎖されています。
白菊のしのぶの里の人とはば 思い入江の島とこたえよ
ちごが淵とは変わった名前ですが、なの由来は悲しものです。鎌倉の名刹・健長寺の自久和尚は、江の島弁財天に百日詣を行なっているある日、老人と一緒に歩く稚児2人を見かけ、その幼い子の白菊の美しい姿に心を奪われました。自久和尚はそれ以降白菊に執着し、白菊への求愛を止めずにはいられません。そんな自久和尚の熱心な求愛行動に耐え切れず、白菊は江の島の南側の淵に辞世の歌を書き残し身を投げました。
白菊のしのぶの里の人とはば 思い入江の島とこたえよ うきことを思い入江の島かげに すつる命は波の下草」と辞世の言葉を残し。ちなみに白菊もこの時本土から渡船を使い江の島岩屋へと参ったのです。この物語は、江戸時代初期には伝承されていて、のちに鶴屋南北が脚色して歌舞伎『桜姫東文章』として上演しています。
弁天さまに守られて
今ではここ「稚児ヶ淵」は、西に本土から船で岩屋にまいる人が着く「べんてん丸」の船着場があり、岩場にできた「しおだまり」が子どもたちの格好の遊び場に。ただし、滑りやすく、フジツボが多いのでケガをしやすいので注意が必要です。
江の島は今では境川からの堆積砂で陸続きになって歩いて渡れますが、古くは島です。断崖絶壁があるアップダウンのある島ですから、ぐるっと観光すると良い運動にはなります。訪れる際には運動靴の方がいいですね。海岸べりは滑りやすいですし。
稚児ヶ淵〒251-0036 神奈川県藤沢市江の島2丁目5−202−21
YouTube 1/fのゆらぎ波の音「江ノ島海岸>片瀬海岸」
ちなみに江の島は弁天さまを祀る江島神社があるパワースポット。海岸だけでなく、江の島の島の中も見所満載の場所です。