キテレツ太閤秀吉が姫山に築いた幸運の出世城・世界遺産姫路城

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太閤秀吉が姫山に築いた幸運の出世城・姫路城

太閤秀吉が姫山に築いた幸運の出世城・姫路城

太閤秀吉が姫山に築いた幸運の出世城・姫路城

平成の大修理前の天守閣

織田信長は羽柴秀吉に攝津と西国諸国の平定を命じる。有名な三木城の兵糧攻めなど播州の戦国大名を攻め落し、その陣地としたのが姫路のお城。黒田官兵衛の城だったのだが、彼は秀吉に献上したと言われています。この時点ではまだ姫山の山城にすぎなかった城。確かにここから姫路平野はよく見渡せます。

古墳の石棺も石垣用に姫路城に運びこまことれています

1581/天正9年、豊臣秀吉公はここに今の姫路城と呼ばれる城を築きました。土塁を固めた山城ではなく、櫓を持った城を。秀吉はこの時に、城を築いたことでこの地が世界各国の方から賞賛される場所になるなど思いもよらなかっただろうし、ここから天下を取った幸運の城となることも。こうしたことから今では超パワースポットとも呼ばれています。

姫路城

好古園から観たお城

姫路城の石垣には臼石や古墳の石棺が

秀吉が築城の時に、石垣の石がなかなか集まらず苦労していた。城下で餅を焼いて売っていたお婆さんが、石が集まらないことを聞いて、使っていた石臼を寄付したのです。秀吉はこれには感激したと言います。そしてこの評判が広まり、国中からたくさんの石が寄付され、城の建築は急速に進んだと語り伝えられています。太閤秀吉が姫山に築いた幸運の出世城・姫路城

その石は【姥が石】Ubagaishiとして今も石垣の表面にあります。↑白い石がそれ。

城の石垣にはなんと古墳時代のお墓の石棺も使われています。これは姫路城だけでなく秀吉の大坂城でも。この古墳時代の石棺の石ですが竜山石という硬い石で、姫路の近く高砂で採れる石です。太閤秀吉が姫山に築いた幸運の出世城・姫路城

おめでたい出世城

秀吉は高い石垣を積み上げた砦に3層4階からなる望楼型の天守閣を築きました。山陽路で初の天守を備えた城で、今の白亜の姫路城とは違い、真っ黒の質実剛健の城だったと記録にはあります。この姫路城を拠点に、秀吉は高松城を水攻めにするのですが、その最中に大事件・本能寺の変が起こります。この時、安芸の安国寺僧侶・恵瓊が毛利と秀吉の講和をまとめあげます。後に恵瓊は秀吉公に仕え、秀吉公の朝鮮出兵では兵をとりまとめ朝鮮軍を撃ち破ります。一説にはそののち、恵瓊は大名にとりたてられたと。秀吉公は恵瓊の尽力により、主君の仇明智光秀を討つため京都へ向かう前に姫路城で策を練ったと言われています。

平成の大修理姫路城

平成の大修理で囲まれた天守

そして一気に天下人へと上り詰めたのです。明智光秀を討つために出陣したその出城が姫路城ですから【豊臣秀吉の出世城】と呼ばれています。足軽から天下人になった太閤秀吉は大坂城を築き、姫路城に戻ることはありませんでしたが、弟の羽柴秀長が姫路城主となりました。

白亜の姫路城を作ったのは池田輝政

蒼天を貫いて漆喰で化粧された真っ白な大天守は姫路のどこからも観える。標高45.6mの姫山の頂に建つのが5層6階、地下一階建ての大天守は石垣を含めて46.3m。これを築城したのは池田輝政。

その後、本多忠政・忠刻の父子が、姫山の西の鷺山に西の丸を作るなどし増築しました。本多忠刻は徳川家康の孫娘・千姫と結婚する際に、化粧櫓を増築して今のカタチの姫路城を作り上げたのです。

姫路城を観る一番のポイントは西の丸

西の丸から見た姫路城が1番美しい姿だと言われています。ここから、お城を是非観てください。また、お城をバックに記念撮影するにはピッタリの場所です。

太閤秀吉が姫山に築いた幸運の出世城・姫路城

姫路城をバックに集合写真にオススメは西の丸から観たお城

姫路城
入城料金/大人(18才以上)1000円
小人(小学生・中学生・高校生)300円
姫路城・好古園(共通券)の入城料金一覧
大人(18才以上)1050円
小人(小学生・中学生・高校生)360円
開城時間/午前9時から午後4時まで。閉門は午後5時。
休城日/12月29日・30日
アクセス/JR・山陽姫路駅から姫路城を見ながらぶらぶら歩いて20分。
〒670-0012 兵庫県姫路市本町68姫路城

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