「イラン上空の航空機について48時間後から無差別に攻撃する」とイラクが宣言
1985年のイラン・イラク戦争当時、日本は自衛隊による在外邦人救援ができなかった。日本で唯一国際線を運航していた日本航空も「安全の保証がされない限り臨時便は出さない」と。テヘランに残された215名の日本人をこの時救ったのがトルコ航空。そしてトルコのアタテュルク国際空港経由で戦争紛争地から無事に日本へ帰国した。
トルコと日本の友情関係はこの事実を知るだけでも、十分理解できる。真の友好とは、こういう事だろう。友好国と言いながら、図々しく領土を侵略している中国、朝鮮。「第二次世界大戦は終わってはいない」と友人のトルコ人が言った。「だってロシアなど、そのあと攻めてきたんだろう。そして満州の日本人達をシベリア開拓のために奴隷労働させたり女子どもは虐殺した。それに加担したのが共産中国。日本人はなぜロシアにもう一度勝たないんだい」と。
トルコ軍艦エルトゥールル号の悲運の物語
トルコという国は日本に対して、どうしてそこまでしてくれるのか? それはトルコの教科書には必ず掲載されている「エルトゥールル号遭難事件」の逸話があります。和歌山の串本沖樫野埼東方海上で1890年9月16日21時ごろ台風に煽られて座礁。機関部への浸水による水蒸気爆発が発生した結果、22時半ごろに沈没。乗組員600名以上が海に投げ出された。
樫野埼灯台下に流れ着いた生存者が、灯台守に遭難を告げ、その報を受けた大島村樫野の住民たちは、台風のなか総出で救助と生存者の介抱に。650名の乗組員の多くは亡くなりましたが、島民の懸命な救助によって69名の命が救われました。しかし当時は日本は食べるものにも困っていた時代。そんな中でも、人は心があるから弱い人を助ける。明治政府を動かし難破民をトルコへの帰国に尽力し、これがきっかけとなり日本とトルコの友好の礎となったのです。
この話を全ての日本人は知りませんが、全てのトルコ人は知っているのです。この逸話を日本中にひろげようと、落語家・桂春蝶さんが創作落語でやっておられます。創作と言っても、エルトゥールル号の悲運は事実です。
色あせないトルコと日本の絆
最近引き揚げられたエルトゥールル号の備品があります。写真は軍艦エルトゥールル号の大鍋。2009年1月に串本沖水深15mの海底から発掘されました。鍋は銅製で直径70cm,高さ45cm。2009年に串本海中公園水族館へ、その鍋を子どもと観にいきました。この鍋で600名を越す船員の食事をまかなっていたんだろうなぁ。
樫野埼にはトルコと日本の友好をしめす「トルコ記念館」があります。1974年に建てられ、2015年にリニューアルされています。鍋は今ここ記念館に展示されています。入館料大人500円、高校生まで250円。
樫野埼灯台は日本最古の石造り灯台です。
エルトゥールル号全長79.2m(船首飾~船尾端)、艦幅 15.1m、2,334トン
トルコ軍艦遭難慰霊碑〒649-3631 和歌山県東牟婁郡串本町樫野