昭和20/1945年8月6日午前8時15分に起こったテロ無差別殺人事件
世界ではじめて実戦使用されてしまった一発の原子爆弾により広島市街の建物は一瞬にして倒壊、市民の命を奪った。広島市の人口当時35万人のうち16万6千人が被爆から数ヶ月以内に死亡。ダウンフォール作戦の始まりでした、いま毒さい国家の中国がやっているチベット、ミャンマー民族浄化政策とおんなじ。民族を根絶やしにして、自分たちだけが生き残り環境にやさしい?!地球にする。アホかと言いたいです。
ビルゲイツの推進する世界人口削減計画も、リベラル大好き人や左翼が好きな「ステキな地球です」よねぇ。【自分たちだけが最終的に生き残る世界が、地球にやさしい】と言っているだけですね。環境保護主義者にダマされてはいけません。
広島はお墓がある場所であり、親類縁者も多い場所。子どもの頃から、なじみ深い場所。町名を言われたら、だいたいどこらへんかわかる。子どもの心に焼き付いていた光景は広島原爆ドームとちんちん電車と市民球場。そして原爆によって子どもが黒焦げになって横たわっている写真、これを観たときの衝撃と怒りはもう、、
「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろう」
原子爆弾の投下めじるしにされた広島県産業奨励館。この地は広島市の中心街、以前はドーム前には広島市民球場があり、その横にはデパートと。
なぜ? 痛々しい姿を今も残すのか? そういう議論は大きな災害が起こるたびに言われています。その災害で死を無理強いされた人たちを忘れないためにも、残すべきです。私が実体験した阪神淡路大震災でもそうでした。しかし当時の悲惨さを実感できるモノはありません。25年を経た今、私自身ですら記憶が薄れていくのが怖いのです。
人間は二度死にます。
「体からたましいが抜ける時に人は一度死にます。そしてあなたを知っている人たちから忘れられた時、もう一度死を迎えるのです。」
悲惨な姿をさらすことは、人の心を傷つけるだけと思っている人もいることは確かです。しかし、それを忘れてしまってはダメなんです。人には生きた場所があり、気がある。広島は市民活動が活発な地域です。なんと言ってもプロ野球球団広島東洋カープの球場も市民球場ですから。カープを支えたのが市民による「たる募金」なのです。新球場「マツダズームズームスタジアム」の建設の際にも「たる募金」は行われていました。子どもと二人でお墓まいりの後、募金したのを思い出します。
保存運動が本格化したのは、1歳で被爆し白血病になって16歳で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんが残した日記がきっかけだと言われています。見出しの言葉がそうです。これを知った市民は募金活動を始めたのです。私はこの広島県民の立ち上がりの早さが好きです。お上に作ってもらうんではなく、自分たちの力で成し得る。なんと言っても北海道にも北広島市を作ってしまう、その力強さ。
原爆ドームは保存のための補強工事が数回されていて、今も建物が維持されています。
オススメはボランティアガイドさんをお願いして
原爆ドームを知るには、ボランティアガイドをお願いするのがベストです。特にはじめて訪れられる方には、オススメ。私も大学時代の研究室のみんなとガイドしていただきました。私は何度も訪れているわけですが、新発見をしました。ボランティアガイドの紹介サイト
「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい、原爆投下は戦争犯罪です」
それは学徒動員でなんと私の兵庫県の母校から参加して被爆した方がいらっしゃることでした。学徒動員はその近隣地域だけかと勘違いしていたのです。全国から集められたのですね。驚きでもありました。75年前のこの日、私たちの先人の方々。私の親類も含め、多くのかたが原爆で苦しめられ犠牲になられました。罪を憎んで人を憎まず、とはかっこよく言われますが、そう考えられる人なんていませんよ。
そして広島長崎へ祈りを捧げることしかできません。ただ私は未熟な人間ですから、幾ら何でも許しません。
キリスト教の聖書の言葉を『愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい』
原爆投下に関しての米国人と日本人の認識
2015年にアメリカ世論調査機関ピュー・リサーチ・センターが実施した調査では、原爆投下は正当化できると答えた日本人は14%にとどまり、79%は正当化できないと回答。
一方、米国人を対象にした1945年のギャラップの調査では85%がトルーマン大統領の決断を支持していた。しかし2018年のピューの調査によれば、日本に対する核兵器の使用は正当化できると答えた米国人は56%に減っています。
原爆ドーム 〒730-0051 広島県広島市中区大手町1−10