大日本佛法最初四天王寺

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聖徳太子の大阪四天王寺

大日本佛法最初四天王寺

大阪には天王寺という地名があります。その名前の由来は、もちろん四天王寺さんから。そう聖徳太子さんが建立した四天王寺には、寺とついてますが神道の鳥居があります。聖徳太子の大阪四天王寺

これには、聖徳太子さんの日本古来からの八百万の神である神道と、大陸から伝来した仏教を喧嘩しないように一体化する考えによるもの。聖徳太子の大阪四天王寺

多聞天・毘沙門天、持国天、広目天、増長天

宗教同士で喧嘩することを聖徳太子さんは察知していた訳ですね。同じ仏教同士でも争いはこの後も絶えませんでしたからね。例えば南朝鮮半島百済から伝来した仏教と北朝鮮半島新羅から伝来した仏教は、喧嘩をして百済仏教は日本では衰退してしまいました。百済という国は、北朝鮮に滅亡される訳ですが、その時の王子たちは日本を頼り海を渡り大阪の北部に移住しています。聖徳太子の大阪四天王寺

権力争いに宗教を使うことを嫌って、仏教界からの提案が多い都・奈良平城京を平安遷都したこともありますね。そしてこの時に、東大寺で出家修行させられていた早良親王/さわらしんのうは、藤原薬子の変の罪をかけられて淡路島へ流刑に。冤罪をはらすために親王は断食して崩御。聖徳太子の大阪四天王寺

諸外国が恐る凄い力の怨念がどこかにおんねん

策略にかけられた早良親王は藤原系の家系では無かったことが流刑の理由ではと言われています。この後、京都の都では奇怪なことが数多く起こります。親王の祟りと言われ、その御霊を鎮めるために神社が建てられたのです。北野天満宮さんとおんなじ理由、それほど霊に対して敬意を示すのが日本民族ですね。早良親王は皇位継承を唯一していない崇道天皇と今では言われていますね。人を貶めるから、その怨念とかにみいられてしまうのが魂だと解ってない人が今の時代や他国民に多すぎます。聖徳太子の大阪四天王寺

仏教が悪いことをしたわけではないでしょうが、こうした火種になってきたことも事実です。聖徳太子の大阪四天王寺

武運の神

四天王の中のひとり・毘沙門天さまは、戦国時代の武将上杉謙信が信仰していたことでも分かるように、武道の神さんです。四天王みなさん、武具を身につけてお釈迦さまを守る存在ではありますが。お寺さんは寺領を持っていました。その領土を守るために僧兵と呼ばれる、武力を持つ組織もあったわけですね。聖徳太子の大阪四天王寺

奴隷文化の国との違い

戦国時代はその寺領をよこせと武将たちが僧兵たちと戦っていますね。いまの大坂城を寺領としていた大坂石山寺と織田信長の戦いは有名ですね。この時に活躍したのが瀬戸内海を守る自治組織であった村上の三水軍。海賊なんて訳すから、おっかしなことに今は成っていますが、彼らのおかげで当時の世界の覇権国家スペインも日本の海で好き放題できなかったわけですから。聖徳太子の大阪四天王寺

この時もスペイン政府はまずキリスト教布教という名目で、日本に取り入ってきた。しかし裏では、日本人奴隷化計画を推進していた。なんだか今のお注射で奴隷化政策と似てません? これに激怒したのが太閤・豊臣秀吉公であり、徳川家康公であったわけですね。聖徳太子の大阪四天王寺

キリスト教と一緒にスペイン宣教師たちが持ってきたのが火縄銃ですね。これを使いのしあがったのが織田家。織田信長公は宣教師からアフリカ人の奴隷を献上されています。重用されて側近に、アフリカ人の大名が誕生する一歩手前まで行ったわけですから、もしも織田の政権が続き、アフリカ人大名が誕生していたと考えると、、聖徳太子の大阪四天王寺

ことほど左様に宗教というのは厄介なものです。時の権力と結びつきたくなる性質を持っている。だから政教分離というお題目が何妙ほうれん草ゲッ今日、腐敗する政治。まぁいつの時代も宗教は厄介で、邪魔だからと殺人まで犯すわけですね。聖徳太子の大阪四天王寺

こんな事を推古天皇元年593年の四天王寺建立から、太子は解っておられた。おんなじように弘法大師空海も権力に宗教が利用されることを嫌ったわけですね。だから最澄に密教の教えを伝えなかった。最澄、延暦寺の兵隊たちは、京都清水寺を焼き討ちにしています。聖徳太子の大阪四天王寺

黄色人種絶滅計画

白人は黒や黄色の人種が嫌いです。オレンジ計画というものでアジアの国々を搾取しようというプランのために仕掛けられたのが、アメリカ軍と中国軍が結託して計画した日清戦争です。中国人は黄色人種ですが、本音では白人と同じと考えているようで、アジア人から搾取する事を考えていた。アメリカ軍が提供した軍備があったにも関わらず、あっさりと日本に負けてしまう。

この時にアメリカ人のリーダーたちは、戦争をすれば儲かると考えた。日本のリーダーはどう考えたかというと、このままではアジアの国々は白人たちの奴隷国家に成り下がると。そのために大東亜共栄圏という名のもとにアジアの独立を考えた。その結果が大東亜戦争、とんでもなかったのがイタリア人とロシア人。

この大東亜戦争で日本は無差別殺人兵器を世界史上はじめて使われます。大都市圏の空爆原爆なんて、戦争だと考えては、日本人としての武士道に恥じます。正々堂々なんて言葉は恥人、あ打ち間違い、白人には通用しません。 地球は思うようには周りません、それが宗教の罠です。聖徳太子の大阪四天王寺

四天王寺は大阪大空襲により崩壊

白人の悪いところは、建物を破壊すれば宗教も民族の依代もなくなると。昭和20/1945年に伽藍は全て消失。どっこい、再生されるんだよね。たかだか二百年足らずの国に潰されたからとその十倍以上続く日本国が負けるとでも思っているんだろうかと。

アメリカ軍による大阪大空襲でも生き残ったのが石鳥居。永仁2/1294年に木造から今の石の鳥居に建て替えられています。西方浄土に通じる門として、ここから参拝される方も多いんだとか。この鳥居には面白い仕掛けがあります、現地でご確認くださいね。四天王寺は寺院群だけでなく、四天王寺七宮と呼ばれる神社群、四箇院/しこいんと呼ばれる施設を持っています。

人はどうして宗教に頼ろうとするのか? 病気の身体を治して欲しい、無学ゆえに相手にされないから教えを。四箇院の一つが病者に薬を施す「施薬院」、病者を収容し、病気を癒す「療病院」、年寄り身寄りのないものを収容する「悲田院」、仏法修行の道場である「敬田院」。

「施薬院」「療病院」の聖徳太子の精神は、今では「四天王寺施薬療病院」に成っています。「敬田院」の精神を受け継ぐのが女子中高の進学校「四天王寺学園」。聖徳太子の大阪四天王寺

四天王というのはお釈迦さまの教えを聞き、釈迦が亡くなった後に仏法を守護するように託されました インドの神さんです。

四天王寺 〒543-0051 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1丁目11−18
開門時間/4 月~ 9 月は8時30分~16時30分 10 月~ 3 月8時30分 ~ 16時00分
入場料/大人、大学生以上 中心伽藍500円 庭園300円 宝物館500円

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