熱田神宮は国家鎮護の神宮

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熱田神宮は国家鎮護の神宮

熱田神宮の始まり

日本武尊が東国を平定されたのちに、尾張国に帰られて、おとよのみことの娘、みやすひめのみことをお妃とされました。

熱田神宮は国家鎮護の神宮

伊吹山の賊を平定せよと天皇からの命を受けて、草薙神剣をお妃の元に留め置かれて旅立ち。熱田神宮は国家鎮護の神宮

日本武尊は伊吹山中で病に倒れ、京都へ帰る道中、伊勢の国能褒野(今の亀山市)でお亡くなりになられました。みやすひめのみことは託された草薙神剣を尾張氏一族の祭場である熱田の地にお祀りしました。景行天皇43/113年、これが熱田神宮の始まりです。熱田神宮は国家鎮護の神宮

草薙神剣の外国人盗賊事件が勃発

天智7/668年に、草薙神剣を外国の賊徒が盗み出そうとしました。この事件以降、草薙神剣は宮中に留め置かれました。京都御所をご覧になれば分かりますが、低い塀一枚しかない。日本人は他人のものを盗もうなんて考えつかない民族。デバガメという言葉があるほど、女性の着替えや行水をみつめようとしない民族。そして人を惑わすウソが無いのが日本人。これと和歌の一つも知っているかどうかが日本民族を知るスパイの方法、詩の一つも歌えないのは、無粋な民族だねぇと。『郷に入れば郷に従え』と大陸半島人は言ったそうだが、、熱田神宮土用殿

天武天皇が朱鳥元/686年に熱田に戻られます。現在も草薙神剣が戻ったことをよろこんで「オホホホホ、、」と笑う酔笑人神事が五月四日夜に行われます。

熱田神宮土用殿

熱田神宮土用殿

そして五日には、神輿が西門に渡御され、京の都に向かって皇室、国家の平安をお祈りする神輿渡御神事が行われています。熱田神宮は国家鎮護の神宮

源頼朝が崇敬した神社

平安時代末、河内源氏の棟梁源義朝は、熱田神宮の大宮司藤原季範の娘である由良御前を正室として迎えます。二人の間の子が、征夷大将軍源頼朝公です。熱田神宮は国家鎮護の神宮

源頼朝公は外祖父が大宮司を務める熱田神宮を篤く敬愛し、鎌倉幕府のある鶴岡八幡宮に「熱田社」を勧請したのです。熱田神宮は国家鎮護の神宮

熱田神宮は弘法大師空海のお手植えの大楠木や数多きクスノキの森でそれはそれは大きなおやしろです。参拝には時間を持ってされた方がいいです。社殿の林の中を周りを巡る小径もあります。熱田神宮は国家鎮護の神宮

熱田神宮〒456-8585 愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1
開門時間/24時間
アクセス/JR東海道線「熱田」駅から徒歩10分

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