旅にはつきもの、神社仏閣とお城、鉄道
爆弾を落とすと言う宣言もなく、当時広島に軍隊が居ない状態で原子爆弾を落とした行為をテロと言わず、なんと言う。「原爆テロを東京裁判で裁けよ」と日本政府は言うべきだね。丸腰の民間人を予告もなく殺害する、狙うと言うことはナチスドイツでもしなかった虐殺行為をアメリカ人はやったのだから。騙し討ちのような汚い手口を使うのは、インディアンを酒と契約書で騙し安心させた上で虐殺したのとおんなじだなぁ、それがアメリカンスタイル。だまし討ちのような正々堂々と勝負しない輩は、性根が腐っていると日本では言います。だまし討ちをした源義経が、兄である源頼朝から攻められたのも道理。
出張に出るとお伺いした先で、その地域の神社仏閣にお参りする。そしてお城を訪ねたのが、旅好きになるはじめ。地域の護り神さんのオヤシロには、その土地で仕事をさせていただくのだから詣ってあたりまえ。
ただお城というのが大東亜戦争で焼かれてしまい、天守閣は鉄筋コンクリートで再建されたものだったりする。そのために、なんだか入場料を払ってまで訪れる気を削がれるのだった。たまたまコロナ明けの今回、大阪城、広島城と天守へ登る機会があったけれど、驚いたのは日本人観光客の少なさ。
多分大多数の日本人は姫路城なら天守閣まで登っても良いが、コンクリートのお城では、となるんだろうなぁと。デザインは広島城など、アメリカ軍テロによって木っ端微塵にされる前のデザインなのだが。
大阪城なんて太閤秀吉のお城という割には、江戸時代の徳川さんの天守なのだから秀吉公の時のおしゃれな城とはデザインが全く違う。それなのになぜ? 秀吉のお城なの? と、この大阪人感覚がわからない。
文明開化が果たして全て良かったのか
純真な子どもは、教科書に書いてあること、先生が語る言葉を聴くと信じてしまいます。そう政治家、宗教の胡散臭いお偉いさん、共産党独裁者やマスゴミの太鼓持ちの方が、語る言葉と同じです。
でも、待ってください自分の頭おつむで考えるとおかしいこと言ってるなぁと。教科書では明治時代に「文明開化」で日本は封建的な社会から解放されたみたいなことを、先生たちは教えてくれました。でも待てよと。
文明開化の名の下に二千年以上にも渡る日本文化を破壊したことも確かです。その一つが江戸時代まで残っていたお城をぶっ潰す【廃城令】です。日本軍の要塞として必要な城は「存城」、不要な城は「廃城」が通達され、廃城となった城は大蔵省の普通財産になりました。
その数約150城、廃城となった城は大蔵省/財務省の普通財産になりました。お役人さまは何したか、それを売って金にしていきます。
しかし考えてもみてください、私たちが土地や建物を持つと固定資産税など税金がかかりますが、お国に税金がかかりますか。なぜ土地や城の有効利用を考える頭すら持たなかったのか。
城跡に建っている学校をよく見かけますが、大蔵省から文部省へと払い下げです。私が散歩する姫路城内にも学校もありますし、美術館、歴史館や図書館など公共施設もありますね。
お国から、県へ、そして市へ払い下げられると言う図式。世界遺産でもある姫路城本体も大蔵省に売りに出されて、なんと23円50銭。お城の遺構が「なんでここに」ということがおこったのは、こうした二束三文で払い下げられ結果。
米10俵の価値分の価格で姫路城が買えた。当時は米1俵が3円弱と揶揄されていました。今の価格で米一俵=2万円を切るくらい、つまり姫路城天守閣、現在の価格で20万円で姫路城は売られていた。世界遺産が売れなかったから良かったものの、姫路城が実際に売られて再開発されていたらどうなっていたでしょうか?
つゆとおちつゆと消えにし我が身かな、世界遺産なんて夢のまたゆめ。ちなみに姫路城よりすごい城郭と言われていたお城が岡山県津山にありました、が【廃城令】で荒廃。残っていれば世界遺産間違いなしで残念です。
お城の災難はまだまだ続きます
明治から大正、昭和初期に入るまでに20基の天守閣がなんとか残ります。立派なお城の形態を残しているカタチですね。
しかし大東亜戦争の原子爆弾での街もろともテロ攻撃、爆撃や戦後の失火で八基の天守閣を失ってしまいます。
現存する天守は12天守だけなのです。200近くあったお城が、このありさまです。残っていれば、莫大な国民の財産になったであろうお城とそこに残っていた大切な資料や鎧兜刀剣が、国の失政により消失したのです。
戦火で焼き払われたお城の中でも広島城は、悲惨な状況でした。原子爆弾の爆風でなにひとつなく吹き飛ばされていったわけですから。アメリカ軍が原爆投下後に原爆の威力を実証する航空写真↓で、自分たちの悪行を記録した写真がこれです。
「原爆投下を戦争中だから、当たり前の行為である」というGHQ先生がいるひどい有様の国日本ではありますが、これは911テロ殺人と同じです。一般市民を巻き込むのは、戦争でなく犯罪です。アジア人、日本民族を焼き殺し白人の土地として奪おうとした計画の過程が、原子爆弾の投下です。二つだけが落とされたのですが、アメリカは十数個の原子爆弾を日本に落とす計画でした。それを作っていたのですから。
戦争は軍と軍が行うもので、一般市民を巻き込む戦闘行為は国際法上ご法度、違反行為です。ドイツ人がアウシュビッツをあれだけ糾弾されるのに、なぜアメリカ人は原子爆弾投下を無抵抗の市民の頭の上に落として糾弾されないのかが不思議です。つまりは負けたドイツ人はとことん叩いて良い、勝ったアメリカ人は全て正しい、これ、これ。これがWASPの論理ですね、白熱した教室でディベートで負かせば勝ちなんです、アホか。
これが教科書や先生たちが言う正しさです。勝ったGHQが公職追放でそれまでの先生を辞めさせて、自分たちに都合の良い先生をばらまいた。東南アジアが植民地にならないために戦った日本は悪い国と教科書で教えるGHQ教育、まぁこれも爆弾とおんなじ。
アメリカに焼き払われた木でできた城を復活昭和天皇に招かれたアメリカ人が皇居をご覧になって「新しくて綺麗ですね」と言うと、陛下は「そうだね、あなた方に焼き払われてしまったからね」と真実を述べられた。これが大和魂、いい悪いは真実を語ることと、知っているのが日本人です。だから命のビザを発行してユダヤ人を助けた。こともあろうか、そのユダヤ人たちが造った原子爆弾によりひどい目に遭わされたのです。戦争とは悲しいもんです。
今、アメリカさんに焼かれたお城を現代の技術で建て替えようという流れがきています。国会議員をやるより地方行政で地域を豊かにしようと考えた河村たかし名古屋市長は、名古屋といえば「金のシャチホコ」。
その名古屋城を今の木工技術で復元再建して、後世に残るお城にして孫の代まで残す遺産にするとおっしゃっている。一方、天皇陛下のお写真を焼くことが芸術だと展示する愛知県知事さんもいらっしゃいましたが、表現の自由であれば人権を犯して良いとはバカですね。おんなじ税金を使って、城を完成させるのと、どっちが正しいか。
実は広島城は戦後、コンクリート造りで建設されているのですが、これを木造復元に向けて再建しようと検討されているのです。でき上がった暁には、広島平和公園、広島城、そしてズースタが広島市の三大観光名所になるんだろうなぁ。ちなみに安芸の厳島は広島市内ではありません、廿日市市です。ちいぃと遠いですから、広島市内観光と宮島は1日でまわろうなんてしない方が、、
お城好きな私は各お城をめぐって思うのですが、日本語英語とも城の説明しおりには、アメリカによる爆撃で焼き払われたと書いていないんですね。不思議です。私は他の国の人に説明するときには、It was burned down by the Americans. Japanese had no choice but to rebuild it with reinforced concrete so it wouldn't be burned again.、と。そうしなければ、日本人なんて奴隷扱いだと思っている方々は理解しませんからね。真実を伝えれば、相手だって理解できる頭の持ち主なら、言葉を失いますから。
広島城の木々が訴える被爆の実態
広島城を巡っていると、所々に「被爆樹木」と表示される樹木が見られます。爆心地から近い約1000m前後の距離にある広島城内。そこにはクスノキ、ユーカリノキ、クロガネモチなどが今もなお生きながらえています。それぞれ城郭遺構が炎上する中生き残った樹木です。
城内は中国軍管区司令部の地下通信室↓が設置されていましたが、原爆投下によって市内の通信網を破壊され、通信不能となっていました。辛うじて広島城の通信室の軍事用電話のみが残り、女学生が原爆投下の第一報とされる「広島の壊滅」を通信したと言われています。
通信室横の中御門跡の石垣は、赤く変色しています。被曝で門は焼かれましたが土台の石垣は赤く変色しながら割れてなお残っているのです。
広島城
広島県広島市中区基町21-1
アクセス/山陽本線「新白鳥」駅から徒歩約15分・広島電鉄「紙屋町」東徒歩約10分
開城時間/城内は終日解放、ライトアップは日没~22:00
天守閣 9:00~18:00/12月~2月は~17:00・最終入城は各30分前
二の丸 9:00~17:30/11月~3月は~16:30・最終入城は各30分前 ♩初投稿日/2024年8月6日原子爆弾テロの日