そこかしこに 神がいる嚴島@太閤さんの千畳閣

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神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

宮島で一番休むのに良いところ

海外からのお客さまだらけの嚴島。嚴島神社へ入るのも行列、そして舞台の端から鳥居をのぞんでの写真撮影スポットも人の列。毎年、お墓参りに広島へゆくと、落ち着きに行くはずだった嚴島も喧騒が、、まぁしゃぁない。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

もともと日本の神さんって、八百万でその数800万。不幸にも無念の死をむかえてしまった賢人を神社にお祀りする。つまり人が神さまにこの時点でなってしまう。それが日本。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

菩提を弔うためのお寺さんだった場所、豊国神社

その国のために命をなげうち亡くなって行った人たちを神として弔うのも私たち。それはいつの時代もそうであるように、戦国時代の豊臣秀吉は亡くなった武将たちを弔うようにとお寺を神の島である宮島に建てさせた。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

その指揮人をとったのが広島の安国寺の僧侶・瑶甫 恵瓊/ようほ えけい。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

安芸の武田氏の一族であった臨済宗の僧侶・安国寺 恵瓊。毛利氏に仕える外交僧として、豊臣秀吉の本能寺の変の中国返しの時に毛利と豊臣の和睦を。その後は豊臣秀吉の側近として九州征伐の大友氏・毛利氏の和睦締結をとりまとめています。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

よほどに人から信頼される人徳の持ち主だったのでしょう。また恵瓊については、僧侶としてだけでなく文武に秀でていて、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には小早川軍の第六師団として戦に参加し、勝利を挙げているので驚き。また一説ではその後、大名になったという話まであります。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

恵瓊が建てようとした宮島のお寺さんは、明治時代に神社に変わり、お上がつけた名は豊国神社、通名は【千畳閣】と呼ばれて宮島で景色の良い、休憩所となっています。秀吉の急死によって未完成のまま。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

神社なのに五重塔

857畳の畳を敷けるほど広く、軒瓦には金箔が押してあることから、完成していれば豪華絢爛な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたはず。まぁ、今でも十分ゆったりとして豪華な休憩場所として最適な神社? です。昇殿料100円はかかりますが、ここから観る宮島の風景も素敵ですから、ぜひ登られることをお勧めします。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

ご本尊として釈迦如来・阿難尊者・摩詞迦葉尊者の仏像が見守ってくださっていました。「神仏分離令」のときに大願寺に移されています。私たちを迎えてくれる神さまは宮島名物の飯とるの大きなしゃもじ。まぁ不思議な話です、元々はお寺さんです。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

そして今でも神社っぽいところはあまりありません。お上が無理くりお寺を神社に変えてしまった例ですね。ご祭神は豊臣秀吉公、加藤清正公神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

神社なのに不思議なことに五重塔がある。まぁ談山神社などもそうですね。もともと日本では八百万の神さんで、神道も仏教も分け隔てなく共存していた。今の日本人の宗教感覚とおんなじです。私は禅の教えを守り、神社へはお参りしませんとは言いませんよね。新興宗教の方は別ですが。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

不思議なのことのもう一つに台風の通り道でもある瀬戸内。幾度も嚴島も暴風雨に晒されているのに、海上拝殿もこの五重塔も残っていること。宮島弥山 大本山大聖院

建築構造の上では、二層目で柱が終わっていて三層目からは柱がないのでしなやかな構造が、風雨にも耐えられると。1407年に建てられた塔ですよ、すごいとしか言いようありません。今はお寺の五重塔ではないので仏像などは、豊国神社と同じく明治の神仏分離で大願寺へ移されています。神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

豊国神社 開門時間/8時半~16時半 昇殿料/高校生以上100円、小中学生50円
〒739-0588 広島県廿日市市宮島町1−1

神がいる宮島@太閤さんの千畳閣

京都豊国神社の太閤さん

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