雨が止まない日はない
意外と知られていないのが日照時間が日本国内では相当違うということ。晴れの国・岡山は瀬戸内なのに晴れの日が多い。
その両隣の広島、兵庫は野球を見ていたら分かるように、マツダスタジアムでも甲子園でも急に雨が降ってくる。北は能登半島から琵琶湖の伊吹山を抜けて紀伊半島を南下するラインがプレートの分け目。そこを南から北へと龍の如く雲が走る。だからこの東西で天気が急変するのだ。
雨は降らないけれどどんよりとした日が続くのが北陸。石川、富山は冬の時期は一日晴れの日が無いとは言わないけれど、はれない冬。
大人になったら日本海に会いたくなる
それは今にはじまったことでもなく、源平時代もそうだった。【雨晴】あまはらしという地名の由来が源義経/平治元/1159年〜文治5/1189年が、岩の陰で雨宿りして晴れるのを待ったという伝説から。
「雨晴」という地名で呼ばれるようになったという伝説が、いまでも地名の由来となった大岩「義経岩」が残っていますし、その岩の横には源義経を祀る神社が祀られています。
立山に振りおける雪を常夏に
源平時代の前の奈良時代にも越中国主で、万葉の歌人としても知られている大伴家持さんは「 立山に振りおける雪を常夏に 見れども飽かず神からなし 」とこの海岸を詠っています。
奈良時代からもここ雨晴海岸の絶景は、自然を愛する日本人の心をひきつけていました。
イメージ写真として立山連峰と雨晴海岸に浮かぶ島の構図は、人をひきつけます。しかし、3000m級の山やまの立山連峰に雪が降り積もり、そして頂きがくっきり見える日なんて、あまり無い。どうしても頂上付近で雲が止まってしまう。それが自然、またこうした高い山ができるのは地殻変動で海からプレートが押し出して山を高くするから。それが自然の摂理。
能登半島の冬は雨と曇り空で晴れが少々
能登半島に位置する雨晴海岸は海岸越しは本州側富山市を見ることになるので、立山連峰を見渡せます。本州側もいいんですが、実は能登半島側もいいんです。絵になる海岸ですので、散歩するにも最高です。令和六年元旦の能登半島大地震でこの岩島も崩れたりしていないか? と思い訪れたのが2月。雨晴海岸周辺にはあまり変化はないようでした。訪れた時も午前中は曇り模様でしたが、お昼過ぎからは晴れてきました。
どうしても富山湾に浮かぶ岩の女岩/めいわが絵になるために、そこだけがクローズアップされますが。まぁ富山のイメージ写真といえば、この岩と剣岳をはじめとする立山の3,000m級の高い山々。
白い砂浜と青松の風景はThe Nippon Sea Shore. 地震によるプレートの押しで雨晴海岸は日本海では数少ない遠浅の海岸です。
富山県平年値日照時間
12月70.7時間
01月68.1時間
02月89.7時間
東京都平年値日照時間
12月174.4時間
01月192.6時間
02月170.4時間
岡山県平年値日照時間
12月153.8時間
01月149.0時間
02月145.4時間
富山と東京を12月で比べてみても太陽が照っている日が日数にして月の半分以上15日間くらいは東京の方が晴れの日が多いのです。ちなみに東京は冬場は日照時間は長い方で晴れの国岡山県よりも3日程度は多いのです。
雨晴海岸線よこに列車が走ります
鉄道に乗りながら海を眺めるなんて、ホントの癒しですね。それが味わえるのが高岡市から氷見へと走る氷見線。伏木駅過ぎから、もう海をみながらずっと氷見まで走ります。この有名な女岩も、車窓から観ることがもちろんできます。氷見といえば氷見ブリと言われるほど、ブランド化された感があるブリが冬場は美味しく楽しめます。
鉄道ファンにとっては海岸に近い駅として「雨晴」駅は有名です。この駅で降りる観光客のかたも数多くいらっしゃいます。そして義経が休んだ岩の横には道の駅があり、雨が降っていてもここからお茶しながら雨晴海岸を楽しむこともできます。もちろん富山の物産お土産を買うにも最適な施設もあります。
北朝鮮による拉致事件
雨晴海岸は散歩の時に注意してください。過去に北朝鮮による拉致事件が起きています。アベックが朝鮮人4人組に襲われる未遂事件なども起こっています。