歴史好きには楽しいお城
明治時代の文明開化の名の下に、壊されていった日本文化や文明があります。神仏習合の文化だった日本という国柄を、分離しようとした。地域である藩、今でいう県の誇りであったお城をことごとく壊した。これ現存していたら、もう日本は世界遺産だらけ、ですよね。姫路城よりも広くて壮大な城だった津山城しかり、そしてここ島原城も明治の文明開化の名の下に壊されていった。
人の心のよりどころなんよねぇ、お城がある町に住んでいると、豊かな気持ちになれる。兵庫県の中心は今では県庁所在地・神戸だけれど、姫路の人たちはお城がある事で動じない。私の母方は姫路の出身なので、そんな心もちがよくわかります。
今の島原城は地域の人たちの熱望によって昭和35/1960年に「西の櫓」が再建され、昭和39/1964年に天守が復元されたそうです。昭和47/1972年には「巽の櫓」を復元して、郷土出身者で文化勲章受賞者である「平和祈念像」の作者である北村西望先生の彫塑を展示する「西望記念館」を開館。
天守閣は資料館になっていて、キリシタン文化を学ぶには良い資料がたくさん展示されています。
島原の乱でも炎上を免れた島原城
島原城の一番のベスト角度は大手御門跡から眺める姿と言われています。城には写真を撮るときに、一番絵になる角度がなぜだかあります。天守閣とその周りの櫓とのつりあいや、石垣の角度。
このお城の素晴らしさは、周りの雰囲気もプラスされます。城内にある梅林、お堀にさく菖蒲、蓮の花。これぞクールジャパン。梅林は松平家臣の家柄に連なる古野家からの寄付を元に整備されたものだそうで、古野梅苑と名付けられています。その横には松倉重政公御祭祀の祠が、ひっそりと建ちます。
島原城を造った築城主である松倉重政公と、その過酷な工事により犠牲となった方々をお祀りしてあります。
領民を搾取して城を造ったがために
実はこの城を造るために、多大な費用がかかりました。それは誰が払ったか? そんな事すぐ分かりますよね、その地域の人たち。領民を搾取して城を造ったがために、起こったのが島原の乱です。また同時に、キリシタン弾圧があったことも原因の一つです。寛永14/1637年に農民一揆軍は島原城に押し寄せますが、堅牢な作りの城を落とすことができず、原城に籠城。
よく年に一揆は鎮圧されます。しかし、それだけではすみませんでした。大名・松倉勝家は乱を招いた責任により改易のうえ斬首。大名が首を切られるなど前代未聞で江戸時代でもこの一件だけです。ところで今は気軽に使われる言葉「首を切る」って、首切ってコロスという刑罰ですからね、言葉は怖いです。それ解ってて使う言葉ですね。
そんな歴史を思い浮かべつつ、町をぶらぶらしてるといろんなものに出遇えます。
島原城
住所/長崎県島原市城内1丁目1183−1
アクセス/島原鉄道「島原駅」より歩いて10分
長崎道・諫早ICよりクルマで国道251号線経由43㎞