二十年に一度の三ツ山大祭@姫路播磨国総社

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三ツ山大祭@姫路播磨国総社

山が動くという

山が動いた、なんて表現は他の国であるのだろうか。そして山に向かって祈る人はいるのだろうか。山への信仰心は、日本人なら誰しもにある。富士山を知らない人はいない。そしておらが町の富士が日本各地にあることからも、山に対する私たちのDNAに仕組まれた感覚を感じない人もいないだろう。三ツ山大祭@姫路播磨国総社

三ツ山大祭@姫路播磨国総社

五色山には九所御霊大神

神社のお祭りにも山がつくものがある山車、山笠。祇園まつりに代表されるような山。山がひかれて、町を練り歩く、そのことで疫病退散を願った。神社巡りをしていて、あ! これ姫路の山とおんなじ、と思う山がある。長崎の諏訪神社のお祭り・くんちの絵の中に姫路の三山とおんなじ絵が描かれている。

三ツ山大祭@姫路播磨国総社

二色山には播磨国の大小明神

この山にはお祭りの間、神さまが滞在されている。この感覚は神輿や山車とおなじ、神さまにのってもらい、町をみていただく。そして日本国中が幸せになるように、そのお山に祈る。これに宗派とか、私は基督教徒だから祈りませんなんて人は少ない。

三ツ山大祭@姫路播磨国総社

小袖山には天神地祇、国中の神々をお迎えします

20年ごとにお山が出現する

世の中が荒れていた平安時代、ここ播州は瀬戸内海に面していて島が多い。瀬戸内海を制する者が権力と富を得る、それは瀬戸内海の港湾を整備した平清盛公をみてもよく分かる。山陽・九州・四国と京を結ぶ物資輸送の大動脈・瀬戸内海を我が物にと九州大内氏は攻撃を仕掛けてもいるし。大内氏と戦ったのは戦国武将たちに愛された大三島の神官三ツ山大祭@姫路播磨国総社

瀬戸内海はそうした勢力と対するために、水軍が色々な島に存在していた。有名なのは因島を拠点とした村上水軍だが。9世紀以降、こうした海上武族が多くなり、それをまとめあげた一人が藤原純友。平安時代中期、彼はそうした後ろ盾を使い播州にも攻め込んだりしていた。そして瀬戸内海、九州各地を襲うようになる。これが【藤原純友の乱】天慶4/941年小野好古、藤原恒利によって鎮圧されました。三ツ山大祭@姫路播磨国総社

こうした世の中のみだれを鎮定するためにはじまったのが、天慶2年/939年に斎行された「天神地祇(ちぎ)祭」です。それが60年毎の【丁卯(ていぼう)祭/一ツ山大祭】、20年毎の【三ツ山大祭】と言われています。播磨国の平安と発展、そして日本国の平安を祈るお祭りとして二十年ごとに開催され、今日まで一度も途絶えることなく継承されています三ツ山大祭@姫路播磨国総社

播州・姫路を代表する大きな神社総社さん

播州の中心が姫路城、その東隣にあるのが播磨国総社、射楯兵主神社/いたてひょうずじんじゃ。射楯大神/いたてのおおかみと兵主大神/ひょうずのおおかみの二柱の神さまが祀られています。創建は不明ですが『播磨国風土記』では8世紀前後と記載されています。地元では総社さんと呼ばれています。総社さんの紹介はこちら。三ツ山大祭@姫路播磨国総社

播磨国総社 〒670-0015 兵庫県姫路市総社本町190
営業時間 5時00分~19時00分三ツ山大祭@姫路播磨国総社三ツ山大祭@姫路播磨国総社

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