恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は 思ふ方より風や吹くらむ
女性である紫式部が一千年以上前に小説を書いていた国がこの日本、私たちの国のありかた。アマテラスは男ですか? 男女共同参画とか同権とかいう人たちは、この事実をどう解釈するんだろう? 日本という何千年も続く国を悪い方向へ導こうとしかおもえない。日本は一度も植民地にはならなかった国、そして天皇の元たみはひとつという奴隷制度が無かった国。
寛弘五/1008年に書かれた世界最古の女性が書いた長編小説『源氏物語』。その中でも有名なのが「須磨の秋」の章。首都京都だった時代に、関所が置かれていた須磨に行かされるということは左遷に近い。今の時代だったら首都東京で暮らしてたお役人さまが江ノ島に行けと言われたらという感覚。サーフィンやウィンドが流行っていた1980年代、東は江ノ島海岸、西は須磨海岸と呼ばれていました。
ウィンドサーフィンをしてた私はポパイやホットドックにそそのかされて両方で風に吹かれてました。そんな暇があったら、もっと在原行平のように女の子や人と話していればと思います。流行に乗るとバカをみるんですね。今そんなシーンを見ると笑われますが、当時は波のない須磨の海岸にもサーフボードを片手に担いだ人が闊歩していましたね🤣
ある企業で役員にもなった友人は、閑職にされて住まいを東京から鎌倉に移した。その友人は「都落ちだね」と、僕は「環境がよくなって寿命が伸びるね」と。在原行平(弘仁9/818年-寛平5/893年7月19日)は、文徳天皇の逆鱗に触れ須磨に都落ち。その時に、日本でも古い厄除けの神社のある多井畑村のおさの娘「もしほ」と「こふじ」に恋をします。京都からきた僻地で、綺麗な姉妹に出逢ったわけです。
在原行平は九州の要所・兵を統率する太宰権師にも成った人。平城天皇の皇孫というやんごとなき身分。『伊勢物語』で「昔おとこありけり」と言われた六歌仙の一人として有名な在原業平の兄です。この二人はよく混同されます、あの有名な辞書・広辞苑でも間違っていたんですから。
わくらばにとふ人あらば須磨の浦に もしほたれつつわぶとこたへよ
須磨へ下った時に在原行平がうたった歌がこれ。都の誰かが私がどうしているかと聞く人がいたら、須磨の浦で藻塩から滴る塩水のような涙を流しながら悲しんでいるよ、と。
この歌の解釈が都落ちがつらいと歌っていると言われてます。でもです。須磨の浜で一弦琴という小洒落た楽器を弾いていた在原行平に「素敵な音色ですね」と綺麗な女性が声をかける。女の子に声をかけられたら「あなたは」と少しでもお近づきになろうとするのが男ですよね。「私はこふじ/小藤と言います。それで、こちらは姉のもしほ/藻塩です」と。かんのいい人ならわかりますよね、さっきの歌の藻塩って女の子の名前だったんダァと。一千年以上前から須磨海岸は恋人たちの聖地だったわけですね。
この時に弾いていた一弦琴は今でも「須磨琴」と名付けられて残っています。須磨の浜に近い須磨寺では時々演奏されています。この須磨浜から須磨寺に行く道中・天神町には、菅原道真公が休まれた綱敷天満宮が鎮座しています。
見るほどぞしばし慰むめぐりあはむ 月の都ははるかなれども
須磨の地には月見山というお月さんを観るだけのための丘があります。武庫離宮と言われて皇族の土地でしたが、今では須磨離宮公園と言われていますね。ここが月を観る丘です。ここ須磨離宮公園の南に村雨堂という場所があります。ここは在原行平が美人姉妹のこふじ・もしほに勝手につけた名前が「村雨・松風」。美人姉妹もその呼び名に感激して、それからこふじは村雨、もしほは松風と名乗ります。そして須磨の地には「村雨」「松風」という地名が残るのです。すごくないですか、恋する女性の名前が今の町名ですよ、これぞクールジャパン! ちなみに行平町も須磨区内に存在します。弟の業平の名をとった業平町は芦屋市にあります。
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来む
須磨の浜は松の名所でもあります。松と待つの掛詞。『古今和歌集』に残るこの歌は、小倉百人一首にも採用されている超有名な歌。この歌のモデルが松風・村雨姉妹なのです。小倉百人一首にはもう一つ須磨でうたわれた歌が残っています。「淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守。 源兼昌」
斉衡2/855年に文徳天皇からのお許しがとけて、因幡守/国司に任ぜられた時に村雨・松風におくった歌がこのうたなんです。当時の国司には「遥任」と言って、京の都に居てリモートワークで国を治める方法もあったのですが、天皇はそれを許さなかった。かの地で真面目に勤め上げれば帰京を許すというもの。
松風・村雨姉妹は行平に因幡の地までついてゆくと言いますが、当時の旅は生半可なものではないもの。愛していればこそ、あなた方を危険な目に合わせることはできないと、そしてこの歌を須磨の松に烏帽子とともに残したのです。
一千年以上前の須磨の浜での出来事です。でもその二人のことは人々から愛されて、観阿弥、世阿弥の謡曲『松風』や近松門左衛門の浄瑠璃『松風村雨束帯鑑』として語り継がれてきたのです。
江ノ島海岸を散歩した後は江島神社のある島を散策ですが、ここ須磨の海岸を散歩した後は、源平の合戦・一の谷がある須磨浦公園からロープウェイに乗って須磨海岸や世界一の吊り橋・明石海峡大橋や国生みの淡路島を眺める旅が良いですね。
須磨海水浴場 〒654-0049 兵庫県神戸市須磨区若宮町4丁目 2022年7月7日海開き