もみじの錦 神のまにまに、菅家。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

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紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花

京都から九州太宰府へ左遷された菅原道眞公(承和12/845年6月25日-延喜3/903年2月25日)を慕って、京都の屋敷にあった梅の花が一夜で飛んで行ったという。そのため道真公を祀る天満宮さんには梅の花がつきものだ。道真公が民に愛されていたと言うのは各地に残されたこのようなお話でも分かる。梅といえば、天神さん@Kyoto北野天満宮

道真公を慕って飛んだのは梅だけでなく松も。飛んだ松と言うことで「飛松町」と言う名前まで神戸市須磨区には残っている。その町の総称である「板宿」は、道真公が太宰府への道中の宿として板で囲った宿を造ったことから。紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

その南、須磨区天神町には漁具の綱を輪にしいて、道真公の休息所をもうけたと言われている「綱敷天満宮」がある。こうしたお話は、各地にある天満宮さんには残っている。どんだけ道真公は慕われていたんだろうと。こんな人こそ、今の世のまつりごとに関わって欲しいですよね。上七軒 天神信仰@京都北野天満宮

紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

舞妓さん芸妓さんの京都といえば、祇園。どうしても京都の繁華街、中心地といえば今でも祇園のある四条河原町界隈だから仕方ないことですが。私は上七軒に友人がいて、その子に教えていただいたのが「ほんまもんの京都の紅葉いうたら北野さん」と。紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

道真公を祀る北野天満宮の境内西には紙屋川と言う蛍が生息する小川が流れています。この紙屋川を囲むかのように楓があり、これが秋にはもう絶景に。紅葉も桜と同じように上空から眺められるのが風情があると言われます。しかし、そう簡単には上から紅葉や桜を愛でるなんてできません。それができるのが北野天満宮さん。私がお勧めする京都一二の紅葉の名所・東福寺さんももみじした楓を上から眺めることができます、これ一度ご覧になってみてください。紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

ではなぜ堤防のような造りにここは成っているのか? 京都は南北に川が流れていますよね、その川も氾濫することがある。そのために御所を守るためにぐるりと堤防で囲った「御土居/おどい」をここに豊臣秀吉公が築いたのです。今でいう都市計画の一環として。鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として、天正19/1591年に多くの経費と労力を費やして築いた土塁が今では紅葉の名所として愛されているのです。洛中、洛外という言葉の元も、この御土居の内が洛中ということです。紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

京都はねぇ、お金が少しかかるのよね

全国の神社を旅して観てきましたが、入場料というか拝観料というかをとる神社はありませんね。ただ宝物殿やこの「もみじ苑」には拝観料がかかります。秋はお茶屋さんでの接待、茶菓子付きで1000円、子供500円。写真がそのお菓子です。紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

意外と宝物殿をご覧にならない方がいらっしゃいますが、京都は宝の山です。アメリカ軍が京都の街を日本の各都市と同様に焼き払わなかったことも、このお宝をアメリカに持ち帰るためと聴いて納得します。でも空襲、これロシアがウクライナにやっている空爆大規模殺人と同じですから。紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

戦争は豊臣秀吉公、いや平家と源氏の時代から、日本では兵士と兵士が戦うもので、天皇の子である民を殺してはいけないと。でもこんな倫理すら他の国の方に求めるのは、無駄なんでしょうね。しかし、独裁覇権主義が跋扈する世界に釘を刺し、道しるべを示すリーダーとして日本国が成れば良いのになぁと。鬼滅の刃@京都北野天満宮

『鬼滅の刃』を世界の方に読んで欲しいですわ、日本の戦いの基本みたいなものを知るために。鬼を斬る刀があるのが北野天満宮さん。源家相伝の日本刀で【鬼切丸】と呼ばれています、これもぜひご覧ください。宝物殿の特別公開は毎月25日の縁日の日です。

鬼滅の刃@京都北野天満宮

宝物殿

「もみじ苑」は紅葉シーズンはライトアップもされます。お散歩してお茶屋さんで休憩して1時間。広いので混雑もあまりしておらず、ゆっくりと京都の紅葉を楽しめます。11月中旬過ぎから12月上旬がおすすめです。ライトアップ期間は9時~20時に受付終了、休みはなし。紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

全国天満宮の総本社・北野天満宮

天暦元/947年に創建された、全国に約1万2000社ある天神さん信仰・天満宮の総本社が、この北野天満宮さん。平安時代に学者であり政治家として活躍した菅原道真公が御祭神。「唐からの文化をむやみやたらに取り入れるのはどうか?」と遣唐士を廃止したのも道真公。今の検討士で何もしない政治家たちに爪のアカでも飲みこんで欲しいですね。

上七軒@京都北野天満宮藤原家の陰謀であるとされる太宰府への左遷事件。俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられ京都から追放、いわば軟禁状態。失意のうちに太宰府で薨去した道真公。この後、朝廷や藤原家では不吉なことが起こり、これが後に【道真の怨霊によるもの】と語られるように。

とどめは今でいうと国会議事堂にあたる清涼殿が落雷を受け、藤原清貫大納言をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が。それを目の前で見てしまった醍醐天皇も体調を崩し崩御。これも【道真の怨霊によるもの】と朝廷内では物議を醸し出し、それを鎮めるためにと天暦元/947年に北野社に今の天満宮が創建されたわけ。紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所国宝である御本殿は豊臣秀頼公が造営したもので、八棟造と称される絢爛豪華な桃山建築で素晴らしい、力強いパワーあふれる社殿です。

上七軒@京都北野天満宮

上七軒から観た天神さんの東門

北野を訪れると不思議なことが起こるのです。北野天満宮の東参道に広がるお茶屋の街・上七軒の友だちに鉢合わせしたり。まぁご近所さんなのですが、綺麗な女性に遭うのは嬉しいこと。天満宮さんには芸妓さんや舞妓さんがよくお参りに来られていて、そんな姿を観てるだけでもいぃなぁと。上七軒 天神信仰@京都北野天満宮

歌の名人でもあった菅原道真公

「紅葉/もみじの錦 神の随/まにまに」は『百人一首』にある一首。「このたびは 幣も取りあへず 手向/たむけ山」に続く言葉です。現代語訳ですと「今度の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣/ぬさも用意することができませんでした。手向けの山の紅葉を捧げるので、神よ御心のままにお受け取りください。」と。

菅原道真公が好きだったもみじ葉を、天神さんのお隣で満開にしようと誰かが考えたのかもしれませんね、それが今ではもみじ苑と名がついた丘陵となったわけですから。

北野天満宮さんの境内には、小倉百人一首の絵札が掲げられた休憩所もあったりします。写真はその時に、お隣の上七軒と天神さんの関わりの写真展が開催されていた時のものです。紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

 

北野天満宮〒602-8386 京都府京都市上京区馬喰町上七軒@京都北野天満宮

紅葉の錦 神の随に。京都北野天満宮は紅葉の隠れた名所

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