鬼は日本ではえぇもんです
長田神社の有名なお祭りに節分の時の追儺式/ついなしきがあります。今では鬼を豆で追うのが節分と言われていますが、そのルーツが古くから日本で行われていた「おにやらい」という追儺式/ついなし鬼。これは神社やお寺さんの境内で行われて、特に西日本全域であるようです。
日本では本来、鬼は悪ではありません。鬼=悪者の思想は中国から入ってきました。それは一説には鬼=他民族という考え方です。鬼を不吉なものという考え方は中国から入ってきた最近の風潮です。節分の鬼に豆をまくことで退治する、違うものを排除するという単純な物語ではありません。昔は現代のように町とまちを自由に行き来することなどできませんでした。それゆえに他の地域の人たちを避けるという考え方で、権力者は民をまとめようとした。
赤鬼さん青鬼さんと言う絵本がありますよね、『泣いた赤鬼』浜田廣介作。あの中で赤鬼さんが村人と仲良く暮らせるようにと、青鬼さんはわざと村人に意地悪をして赤鬼に退治されると言う筋書きドラマを演じてしまう。「青鬼さんがかわいそうだ」とこの絵本読んだ時に子どもは言いました。鬼は観る人によって、違うんですよねぇ。
鉄道の駅にしても、そこから他地域からの流入が起きますから【疫病】が流行するのを防ぐために、本来ある商業地などの町から遠いところに駅を造っています。武漢ウイルス対策でも海外渡航を制限したのもそう言う観点からですよね。そうした自分たちの理解の超えたところから来る客人を鬼と言ったのかもしれません。
室町時代から行われていたおにやらい
長田神社の「おにやらい」は約650年程前、室町時代から行われていたと言われています。鬼役は早朝、須磨海岸で海中に入り、身も心も清めて神の代理としての鬼役を務めます。ここ長田神社の追儺式はまる1日かけて行われます。
社殿の大柱に大きな餅が吊り下げられていて、向かって右の大きな餅が太陽を意味し、左の柱の餅は月を意味しています。また今では日本は47都道府県ですが、以前は六十四州に分かれていましたので64個の餅は、日本全土の平安を祈る意味だとか。
「おにやらい」のあらすじは、七匹の鬼が神々のお使いと して松明の炎で種々の災を焼きつくして天地を祓い国土を清め、子どもから授かった太刀の刃で寄り来る凶事を切り捨てる。そして一年間の人々の無病息災、家内安全を祈り願う。一陽来復の立春大吉が再び巡り来ることを喜び祝う願うというお話です。
長田神社の追儺式クライマックスの餅割り
餅割鬼、尻くじり鬼の二人の鬼が「泰平の餅」「六十四州の餅」「影の餅」を斧・槌で割ろうとする姿。これは災厄解除のお祓を意味しているのだそうです。「餅割鬼」が最後に6個ずつ二つ束ねられた大きな餅を割る。この餅は一年12ケ月を表すそうで、一年間の人々の無病息災、家内安全を祈り願ってくださっているありがたいもの。もうこの時には日が高かった時から続けられたついなしきも夜になっています。
長田神社の始まりは1800年以上も前
神功皇后が摂政元/201年春2月新羅より御帰還の途中、武庫の水門に於て「吾を御心長田の国に祠れ」とのお告げを受けて、山背根子の女・長媛/ながひめを奉仕者として創祀されたのが長田神社の始まりと。長田国は、東は湊川/新開地、西は須磨一ノ谷の摂津・播磨の国境を云い、その中央を流れる苅藻川の中州に奉斎されたと伝えられています。『日本書紀』出典。
「福の神」事代主神/ことしろぬしのかみをお祀りしている長田神社。出雲大社に祀られている大国主大神/おおくにぬしのおおかみ、ご自分が治めていた国を天照大神/あまてらすおおみかみに言われて国を譲った、その時に国を譲るかどうかを相談をしたのが息子の事代主神。ことしろぬしのかみは相談を受けた時、大好きな魚釣りをしていたと言われています。事代主神は【先を見通す力があり、福徳円満、商売繁盛や開運招福の神さま】と言われていますよね。
長田神社〒653-0812 兵庫県神戸市長田区長田町3丁目1−1
2022年2月3日の追儺式は予定されていましたが、流行病の疫病武漢ウイルスによる「マンボウ」により急遽中止となりました。こうした疫病を追い払う日本の伝統文化すら台無しにすることを起こした人たちは、、2023年はおにやらいが観られることを願って。