自分は一体どこに向かって進んでるのか
神功皇后が今の朝鮮半島三韓征伐に出立するとき、ご神託があり「和魂が天皇の身の上を守り荒魂が船を導き勝利を導くだろう」と。この時日本国内ですら、争い事で平定しておらず大変だった時期であったのですが。
みごと三つ巴の朝鮮、だから三つの勾玉なんだけどを平定して、九州筑紫の宇美で誉田別尊/ほんだわけのみこと=応神天皇をお産みになり、近畿へと船を進めようとしたところ、神功皇后の夫の第一夫人の子供である忍熊王が神功皇后とその子、後に応神天皇を亡き者にしようと本土と淡路島の海峡が狭い明石で待ち構えていたのです。ここは潮の流れが兵庫の津まで急で、対戦相手を待ち受けるにはもってこいの場所でしょう。平家と源氏の一の谷の合戦場はこの明石の東となりです。
それを事前に知った神功皇后一行は、紀淡海峡に迂回して難波の港へ。しかし難波の港の沖で船が立ち行かなくなった。もともと大阪難波は淀川から流れ出た土砂で堆積した浅瀬が多いところです。それが証拠に現在の大阪市のマークは浅瀬を示す信号が市章です。
そこで兵庫の港へと向かった神功皇后。またもアマテラスのご神託があり「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。これがここ廣田神社のはじまりと言われています。
この時に、生田神社・長田神社・住吉大社の鎮座も行われた、と『日本書紀』にはあります。
自然に囲まれ非常に強いパワーを持つとされる【荒御魂】をお祀りする
廣田神社は六甲山全山「向か津峰」を敷地としていた時代もあったわけですが、今でも境内は広くて大きいです。もともと荒魂がご鎮座しておられた六甲山系の東の端に位置する甲山が、今の神社の場所の北にあたります。甲山の高隈原に鎮座されておられたのですが、災害により享保9/1724年に江戸幕府の徳川吉宗将軍により廣田山の地に遷座したとのこと。
1995年1月17日の阪神淡路大震災でも甲山周辺は甚大な被害が出たところでもあります。日本は自然災害の多い国ですが、その都度こうして不死鳥のように復活しているのです。
私はその甲山の麓にある学校で学んでいたので、このあたりはよく散歩していました。特にオススメのシーズンは春4月から5月ですね、ここ廣田神社の西には夙川が流れています。そこは阪急甲陽園駅から夙川駅、阪神香櫨園駅まで、そして大阪湾まで桜が咲きほこり関西人でここでお花見をしたことが無い人はいないというくらい有名な桜の名所があります。桜のお花見の後は廣田さんのコバノミツバツツジの群生↓でお花見。
六甲山に登るとよく咲いているのがコバノミツバツツジです。園芸品種のツツジよりもちっちゃなピンク色の花をつけるがコバノミツバツツジ。子どもと夙川でお花見の後、なぜだかお弁当はコバノミツバツツジを見ながら食べていたのを思い出します。ただ桜の時期はツツジより少し早めですが、同時に満開になる年もあります。近年では2020年4月6日には満開でしたね、↑写真。
丘全体がコバノミツバツツジだらけなので、一度咲いている時期にご覧になられたらと思います。社殿前、と言ってもだいぶと前ですがそこの丘にもコバノミツバツツジが群生しています。神社の裏に広がる森林には遊歩道↑が整備されていて、そこが個人的にはオススメのコバノミツバツツジスポットです。
あらゆる願いをかなえる珠、日本最古の如意宝珠が安置
神功皇后が、関門海峡の海の中から得た日本最古の如意宝珠がここ廣田神社にはあります。珠の中に剣の形が見える事から「剣珠」ともいい、神功皇后はこの如意宝珠を得てから連戦連勝だったと伝えられています。このため勝負運が強くなる超パワースポットだと言われています。
武士からの信仰も篤く、元暦元/1184年に源頼朝が平氏の討伐を祈願したことでも有名です。勝った頼朝は淡路国・広田荘を寄進しています。慶長9/1604年には豊臣秀頼によって大規模な社殿の改築が、末社の戎社(現・西宮神社)共々行われてます。また今では地元西宮甲子園球場を本拠地とする阪神タイガースの優勝祈願はここ廣田さんですね。
主祭神は、撞賢木 厳之御魂 天疎 向津姫命/つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめのみこと。=天照大神荒魂/あまてらすおおみかみのあらみたま。国家鎮護・天地自然・立身出世・武運長久に特に御霊験高き神として、崇拝されてきました。
西宮廣田神社 〒662-0867 兵庫県西宮市大社町 7番7号