京都の摩訶不思議、御所の鬼封じ鬼門。名前がステキなHappyになる幸神社@Kyoto Japan

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京都の摩訶不思議、御所の鬼封じ幸神社

鬼は来る、だからそこを封じる鬼門

平安京、京都の鬼門を千二百年守り続けて居る神社が幸神社。京都御所の北東、閑静な住宅街の一角に幸神社/さいのかみのやしろはあります。規模としては今は小さなオヤシロです。厄除けや縁結びのパワースポットと言われていて、意外と女性のかたのおまいりが多いようです。

平安京の大きな区画の鬼門封じは、その区画の北東にある比叡山と前回のブログで書きました。桓武天皇によってその比叡山に延暦年間に建てられたのが延暦寺。そして平安京の中にある御所の鬼門、平安京内の北東にあるのがこの幸神社。しあわせの神社と思って、参拝するとここでえべっさんをしてるので、あ!商売繁盛なんダァと。京都の摩訶不思議、御所の鬼封じ幸神社

危除縁結の幸神社、お猿はぜひ観て

京都御苑から今出川通りをはさみ、東北の場所に位置する住宅街にある神社で、京都らしくないあなたの町にもありそうな神社で親近感を持ちます。「幸神社/さいのかみのやしろ」は御所の鬼門除け守護神として、平安京創建時に桓武天皇により建てられたお社と言われていますが、歴史はもっと古いそうです。もともとあった出雲の国の氏神さまをおまつりした神社を鬼門の神社としたという方が真実味があります。

第50代・桓武天皇の平安京造営の際に『都の東北鬼門封じのために、出雲路道祖神を建立した』という。『雍州府志』より。平安京遷都後の最初の神社になるとも言われています。もともと御所の鬼門にあたる場所にあった神社を鬼門封じの神社としたというのが正しいような気がします。「出雲路道祖神」は神社鳥居のすぐ後ろにあります。京都の摩訶不思議、御所の鬼封じ幸神社

鬼を塞ぐ道祖神・塞神の「塞」が「幸」に置き換わったとも言われていますが、これも言葉遊びかもしれません。

猿がこの神社のお社の中にいます。猿は「魔が去る」に通じることから、古くから神の使いとして考えられていました。社殿の北東におられるのですが、ちょっとわかりにくいですが探してください。三番叟/さんばそうと呼ばれる御幣を担いだ猿が祀られています。京都の摩訶不思議、御所の鬼封じ幸神社

あの出雲の阿国が巫女として仕えた幸神社

歌舞伎の創始者である出雲の阿国(元亀3/1572年-没年不明)が幸神社の巫女として仕えたと伝えられています。その縁で、芸術関係の方々からも信仰を集めています。

もともと京都のこの地区には出雲から来た民がいて、その氏神様がここです。京都の摩訶不思議、御所の鬼封じ幸神社

石神さんもこの神社の主役

境内の北東には、「おせきさん」と呼べれる石神さんが祀られています。幸神社は何度か火災に遭っているそうですが、この石神さんは平安時代のまんまご無事にここに残って居ると伝えられています。拝むと良縁に恵まれて、むやみに触れた人は痛い目にあうと伝えられています。

猿ヶ辻

四隅に角があるわけですが、東北の角・猿ヶ辻だけが凹んだ状態

猿ヶ辻と呼ばれる京都御所の鬼門

つい100年前まで日本はキリスト教暦/太陽暦ではなく、月の満ち欠けの通りの太陰暦を使っていました。そして十二支で時間や方角を表していました。日本はつい最近まで西洋諸国とは時間軸が違い、1年に1歳としを取るという文化ではなくて、四季の文化、春夏秋冬で歳を取る感覚であったのです。

鬼門の方角は丑寅の方位で北の東。寅の正面に位置するのが申/サル。トラを制するのが猿さんということで猿の置物が鬼門に置かれます。そのため御所の鬼門である北の東角が「猿ヶ辻」と呼ばれているのです。

猿ヶ辻

猿が辻の反対西側はかけてません

「猿ヶ辻」の部分の塀は、敷地内へへこんだ形に造られています。幸神社からこの御所までは10分程度ですから、合わせて観て欲しい場所です。京都御所の塀周りは東西約250m、南北約450mで、その周りの森の京都御苑はもっとでかくて、そこそこ歩いて観光するにも時間がかかります。細かく観て歩くと所要時間80-120分。

幸神社/さいのかみのやしろ〒602-0814 京都府京都市上京区幸神町303 寺町通今出川上ル西入ル

京都の摩訶不思議、御所の鬼封じ幸神社

出町桝形商店街を寺町通まで通り抜けて右へ曲がると、「危除縁結 幸神社」の石碑が建ちます

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