須磨の浜に聴こえし青葉の笛、一ノ谷の戦い@兵庫須磨Go to Hyogo

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須磨の浜に聴こえし青葉の笛

誰でも知っている「源平の戦い」の舞台といえば

一ノ谷、屋島、そして壇ノ浦。平清盛公は福原の兵庫に港を造り、貿易で日本を活性化しようとしたさきがけ。京都から福原に遷都までした。今の神戸に都があったことなど知らない人も多いけれど。

貨幣経済の始まりは平清盛公が宋銭を輸入したで、今の「お金」があります。1万円札の顔に清盛公がなってもおかしくないくらい。次の一万円札のお顔は神戸港とはえにしの深い渋沢栄一さんですが。今の海外と交易する港という考え方や神戸港の土台は、一千年近く前に平清盛公が創ってくださった。このことはあまりクローズアップされないのが不思議。一ノ谷の戦い@兵庫須磨

日本最初の全国規模の内乱が「源平の戦い」。教科書では「治承・寿永の乱」と言ってますが。平安時代末期の治承4/1180年から元暦2/1185年にかけての6年間続く内乱。その中でも意味があるのが「一ノ谷の戦い」。三種の神器が安徳天皇(6歳)の元にあり、朝廷は平氏と和平するか、戦を持って三種の神器を奪い取るか。

平氏側は安徳天皇を日本のトップと考え、朝廷側は後鳥羽天皇を即位させようとしていた。公家がまとめる国から、武士が力を持ち日本のリーダーとなりつつあった時代。

「波の下にも都がございます」

安徳天皇は平清盛公の娘・徳子と高倉天皇の間に生まれた第一皇子。壇ノ浦の戦いで、母方祖母・二位尼・平時子に抱かれて壇ノ浦の急流に身を投じた。歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御。海に身を投げた、いやその後助けられて瀬戸内の島、四国の山奥で生き延びたといった説が出るほど、人々の心に悲しみを誘う出来事だったのです。

一ノ谷の戦い@兵庫須磨

須磨の海にいるのが平敦盛、浜が熊谷直実@須磨寺

「敵に後ろを見せるは卑怯なり。返せ返せ」

『平家物語』で一番涙を誘う哀話である「平敦盛の最期」は、日本人の心を揺さぶるものがあり、いまも語り継がれているお話。

元は平家側の武士であった熊谷直実。源氏側に勝算があると寝返り、源氏の武将に後れを取るまいと。直実が一の谷の浜に着いた時、ほとんどの平氏は海に逃れた後。しかし、一人だけ波打ち際で逃げ遅れた立派な鎧を着た平家の武者を見つけ「敵に後ろを見せるは卑怯なり。返せ返せ」と。名を名乗れ、とは今のネット匿名文化にはないものですが。そう言われれば正々堂々と対峙するのが日本の武士道。一ノ谷の戦い@兵庫須磨

するとその若武者は振り返り、直実に一騎打ちを挑みます。しかし直実にあえなく倒され、直実が首を取ろうと兜を取ると、なんと直実の息子と同じ年の頃の少年。戸惑っている直実に「あなたに名乗るのはよしましょう。あなたにとって私は十分な敵です。どなたかに私の首を見せれば、きっと私の名前を答えるでしょう」と。不思議ですね。

寝返っていた熊谷直実を、平敦盛が気がついていた。そう、敦盛は直実より位は上。平家劣勢で、寝返る武士も多数いたはず。「あ、この武将は関東の、」。悟るとはこういう事。だから、名をつげなかった。

「早く討ちなさい」

この若い命を討とうが討つまいが、戦の勝ち負けに関係はない。助けたいと思った直実が後ろを振り返ると、梶原景時ら源氏の軍勢がすぐそこまで近づいてきます。もういよいよ逃げられまい。「同じ事なら、直実が手にかけて、後のご供養をお約束します」と。首を武者の鎧で包もうとすると、その腰に一本の笛がさしてあるのに気づきます。

一ノ谷の戦い@兵庫須磨

神戸マラソンでの一ノ谷合戦場付近での光景、武将は白旗の源氏方です

陣地であった須磨寺に、首と笛を持ち帰った直実は、大師堂前の池でその首を洗い、その前の大きな松の木に腰をかけた源義経が首実検を行いました。「このお方は平清盛公の弟、平経盛公の子、従五位の敦盛公である」と。御年17歳で、持ち帰った青葉の笛を見て、涙を見せないものはいなかったといいます。一ノ谷の戦い@兵庫須磨

暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか青葉の笛

この笛を一度でいいから見てみたいと、全国から多くの方がこのお寺を訪れています。松尾芭蕉や与謝蕪村、正岡子規も上野山福祥寺・須磨寺を訪れて歌を残しています。この青葉の笛は大切に須磨寺に保管されています。

源平の合戦の舞台須磨寺@兵庫須磨

中央が青葉の笛、両側は平敦盛

後に直実は、殺しあわねばならない戦の世に無常を感じ、法然上人の元で出家をする事となります。

「お寺さんや神社で蝶を観ると良いことがある」

そう私はおばあちゃんに教えてもらいました。平家は『アゲハ蝶』に赤。瀬戸内はなぜか蝶がたくさん舞っています。瀬戸内海の島々にたくさんの蝶が舞うのが、子どもゴコロに不思議でした。海を渡るんだと。海を渡る?って疑っている人、台湾から日本に子孫を残すために海を渡るアサギマダラという蝶↓もいます。この蝶、『鬼滅の刃』の胡蝶しのぶのモチーフのてふてふです。そういえば瀬戸内の島・因島出身のポルノグラフィティ『アゲハ蝶』聴いた時は、ぶっ飛びました。アサギマダラ@京都フジバカマの里

一ノ谷は今では桜の名所「須磨浦公園」として有名です。風光明媚な場所ですが、意外と観光客の少ない場所でもあります。戦の場所でしたから、霊気があったりして寂しさがある土地柄です。日本では運動会では赤と白に分かれて戦いますよね。これ平家の紅と源氏の白組です。

赤に蝶々が平家側の旗

赤に蝶々が平家側の旗

旗振山に登るのにもロープウェイがあるので便利です。ここから東が一ノ谷、そして須磨の浜を一望できます。須磨浜は今では白砂のビーチですが、1980年代にそれまでの黒砂ビーチが侵食で無くなってしまったので、人工的に造成したビーチです。古の人たちが、のたりのたりかなぁと言った浜とは今の須磨浜は違います。

須磨浦ロープウェイと須磨浦山頂遊園の施設は2020年11月からリニューアル工事中です。2021年3月中旬までは営業中止中です。山に登るにはあなたの足しかありません。カーレーター@兵庫須磨

また世界にここだけの超珍しい奇天烈な【カーレーター】↑なる乗り物もあります。たぶん世界でここだけの乗り物! 以前ACの骨髄バンクのドナー登録推進のCMにこのカーレーターが使われていたことがあります。

それでカーレーターが有名になり、これに乗るためにわざわざ来られる人もいらっしゃるようです。骨髄バンクCMの女の子はその後、ドナーがみつかり骨髄移植されたとそうです。白血病には骨髄ドナーの方々の協力が必要です、健康な方は骨髄バンクに登録してください一ノ谷の戦い@兵庫須磨

ロープウェイ乗り場の国道2号線の西国道沿いに「平敦盛塚」があります。敦盛塚〒654-0076 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町5丁目4−18

youtubeで須磨の波の音淡路島 通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜ねざめぬ 須磨の関守

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