鬼はえぇもん、わるもん?どっち? 修正会追儺式@兵庫加古川鶴林寺

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兵庫加古川鶴林寺

おとう、鬼はおるん? エエもん?わるもん?

子どもが小さい時に、毎晩えほんの読み聞かせをしていました。そこに出て来る鬼は、どちらかというと人情味溢れる赤鬼を助けるために自分が悪を演じきる青鬼さんのような、ホントはえぇ人でした。それを子どもは幼いながらも判ってるんですよね。子どもに鬼はホントに悪い人?と聴かれた時、あぁ我が子はなんとスゴイんダァと、親バカです。兵庫加古川鶴林寺

日本の子ドモなら誰だって鬼=悪なんて誰も思っていません。話は全然違いますが、私が小学生の時に変わった名前の人がいました。鬼が名前の鬼塚さんとか九鬼さんとか。今になって考えてみるとオニツカさんって、靴の大メーカーアシックの元となったオニツカタイガーですよね。

私も鬼がどうして、大きな力持ちだったり、住んでいるところが違ったりするんだろう?と・・日本は他の国と違い奴隷制度が長い歴史上でない、珍しい国ですね。ただ特殊技能を持っていた人たちは、忍者なんかもそうですね、固まって住んでいた。そうした人を一般の人は自分たちとは違うという意味で力持ちとか鬼とか言ったんじゃないでしょうか。義経をサポートした武蔵坊弁慶なんて鬼みたいな力持ちの人という感覚じゃないでしょうか。兵庫加古川鶴林寺

弁慶はお寺さんにいた、今で言うところの傭兵ですが

人間は一人ひとり、全く能力が違いますよね。力持ちの人、やたら走るのが早い人、やたら口がまわり弁がたつ人。私は外に出歩かないと気が晴れませんが、じっとしていても平気な人もいる。今は後者の人の方が有利ですよね。

兵庫加古川鶴林寺

左建物が国宝太子堂

鬼が出て来るのはお正月や2月の節分。ここでも鬼って、悪い人じゃないんですよね。節分の時期に法要がいろんな地域で残っています。これはだいたい西日本です。それは当たり前で、江戸時代以前から鬼は居ますから。

聖徳太子ゆかりの地にも鬼は居たようです

聖徳太子が仏教の教えを願い出たお寺さんが兵庫県加古川にあります。兵庫県にはその名も太子町なんて場所もあり聖徳太子とはご縁があります。飛鳥時代の廃仏派の物部氏に追われて加古川の地に隠れすんだ朝鮮半島高句麗から来た恵便法師に、聖徳太子は教えを受けています。そのお寺さんが、鶴林寺・カクリンジです。

鶴林寺さんでは、お正月に鬼が出てきます。【修正会追儺式】と言うのが正式名称。追儺式・ツイナシキと言うのは播州地域では数多く残って居ます。だいたいお正月から2月、または収穫の秋ころに行われています。兵庫加古川鶴林寺

まず法要があり、その年一年を占います。祭壇にある12個の灯火がどうなのか明るい、暗いで占うのです。月々の皿の灯火が明るいと、その月は晴の日が多いと。暗いと雨の日が多いと言われています。兵庫加古川鶴林寺

最初は子鬼が

鬼には子どもと大人がいます。まず小鬼が大鬼を出させるために杖を床に降ろして「ドンドン」踊ります。これは他の追儺式でも似ています。子鬼の後は、赤鬼(斧)・青鬼(槍)が鬼踊りです。踊りの途中で鬼が堂内を暴れ回ります。面白いのは鬼の面です。鼻が大きくて誇張された顔の作りが鬼というよりも、と笑わせてくれます。

見物人はドイヤショウと声をかけ鬼をあおります。7周半になった頃、祭壇前で鬼の勢いは消え、鬼は後ずさりして行きます。これは仏の力で徐々に改心させられ、悪鬼から善鬼になっていくという事だそうです。兵庫加古川鶴林寺

最後は餅の登場です。これも他の追儺式でも似ています。吊り下げられた餅を子鬼が杖で落とし厄除けや災難を落とすと言う意味あいです。堂内の法要が終わると堂の横で餅まきがあります。餅まきが終わると堂前の参道では厄除けのはんこをおでこに押す牛玉印を押してもらう為に行列が出来ています。兵庫加古川鶴林寺

【追儺式】は西日本では各地で行われていますから、ぜひ一度ご覧ください。

聖徳太子の時代からの古いお寺さんですから、平安時代建立の国宝・太子堂など建物も必見

刀田山鶴林寺 伝承では創建は崇峻天皇2/589年、推古天皇14/606年聖徳太子が法華経を講義。現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有します。境内および塔頭の周囲三方が鶴林寺公園として整備されC11形蒸気機関車などが展示されています。
〒675-0031加古川市加古川町北在家424 入山料 大人500円、小中学生200円
アクセス/山陽電鉄「尾上の松」駅より徒歩約15分

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